巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「裏切り者」嫌われた巨人軍「アウトォー」のヤジも…最悪の状況で落合博満41歳がホームラン“逆襲のオールスター”「居心地悪かったよ」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/03/10 11:05
1995年のオールスター第1戦(7月25日)。表彰台で握手する、優秀選手のイチロー(オリックス)、清原和博(西武)、最優秀選手の落合博満(巨人)
41歳“逆襲のオールスター”
巨人の選手が打席に立つと、一部のセ・リーグファンからは相手選手が凡退したときにやる「アウトォー」という野次すら飛んだ。そういう状況で全セの「四番DH」に座った落合は、8回裏に長谷川滋利から横浜スタジアムの左中間スタンドへ目の覚めるような同点弾を叩き込み、自身12年ぶりの最優秀選手賞を獲得するのだ。球宴通算11本塁打目は山本浩二の14本、王貞治の13本に次ぐ歴代3位(当時)。41歳7カ月でのMVPは、1977年第2戦の野村克也(南海)の42歳0カ月に次ぐ第2位の年長記録だった。
話題の中心は21歳のイチローや第2戦のMVP松井秀喜で、「ベンチに1950年代生まれはオレだけしかいなくて、居心地が悪かったよ」なんて自身も新世代の台頭を実感する球宴だったが、巨人OBから嫌悪されていた男が、いわば巨人の看板を背負って全セの四番を堂々と務め上げてみせたのだ。
「(オールスターは)力と力の勝負だから、楽しいですよ。ちょっと詰まったけど、その方が飛ぶものなんです」(週刊ベースボール1995年8月14日号)
“最年長首位打者”の可能性も…
珍しく饒舌に自身の打撃を語るオレ流。前半戦を3試合連続アーチで折り返した背番号6は、球宴MVP弾で後半戦はさらにその勢いが加速する。8月2日の広島戦から11日の阪神戦まで9試合連続安打を放ち、打点を記録しなかったのは1試合だけ。9日の中日戦では野口茂樹の内角直球をとらえ、東京ドームの左翼スタンド上段に推定飛距離139メートルの第14号特大アーチを叩き込んでみせた。