巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「裏切り者」嫌われた巨人軍「アウトォー」のヤジも…最悪の状況で落合博満41歳がホームラン“逆襲のオールスター”「居心地悪かったよ」
posted2024/03/10 11:05
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。
連載第15回(前編・後編)、最下位、“名球会拒否”と波乱のスタートとなった巨人2年目(1995年)。しかし、41歳落合博満の「逆襲の夏」が始まる。【連載第15回の後編/前編も公開中】
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「年俸4億円に見合わない」批判
「ジャイアンツでの俺の役割というのは防波堤ということだったと思うよ。負けた時のね。ファンからの、マスコミからの、OBからの非難の声に対する防波堤。まだ松井に『お前が打てなかったんだから負けたんだ』と責任を取らせることはないじゃない。それは実績のあるベテランにしかできない」(不敗人生 43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
1994年高額納税者番付のスポーツ選手部門で、Jリーグブームを牽引する三浦知良を抑え、1位となった落合に対しては、常に「4億円の年俸に見合わない」という批判が付いて回った。1995年開幕前には、メディアで球界OBたちが「長嶋監督は落合を四番から外す決断をいつするのか」を議論するような状況だった。
<黒江透修「僕は、打順を下げるよりは、長嶋監督は適当な理由をつけて再調整させると思うな。ヤマちゃん、どう?」
山崎裕之「落合は、変にプライドの高い男だから、降格よりは再調整を選ぶでしょうね。それで、やってもダメだと分かれば切れて、終わり(引退決意)じゃないかな」>(週刊宝石1995年4月20日号)
“嫌われた”巨人軍
さらに1995年シーズンは、前年日本一のチームがなりふり構わない大型補強を敢行したことにより、巨人は多くの野球ファンから嫌悪の対象となっていた。NPBにFA制度が導入されてからまだ日が浅く、ファンからも大物選手がより良い条件を求めて自ら移籍をするという行為が、“裏切り”にも近い捉え方をされていたのである。巨人戦ナイターのテレビ視聴率はかろうじて平均20%を維持していたが、前年より4%もダウンしていた。
7月25日のオールスター第1戦。横浜スタジアムのライト側スタンドにはセ・リーグ各球団の応援団が陣取っていたが、巨人の選手に対してだけ、明らかに声援の種類が違ったというスポーツ紙記者の証言が残っている。
「セ・リーグの選手が打席に立つと、十本近い各球団の応援旗が仲よく振られて壮観でした。ところが巨人の選手だけは例外です。旗が倒され、絶対に応援しないんですよ」(サンデー毎日1995年8月13日号)