誰も知らない森保一BACK NUMBER
「森保は漢字の間違いが多くてね…」“じつは勉強が苦手だった”森保一監督を変えた新人時代…恩師が明かす「“森保メモ”はこうして生まれた」
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/02/11 11:26
試合中にメモをとる森保一監督。その原点は高卒で入団したマツダ時代にあった
今西の新刊『聞く、伝える、考える。』に、森保はこんな証言を寄せている。
「指導の一環として、練習日誌を書くということもありました。日々の振り返りをノートに書き込んで、それをコーチに提出し、添削されて、その成果と課題について、自分が考えていること、コーチから見たギャップなどをフィードバックしてもらいましたが、この経験もすごく大きかったです」
誤字や言い回しの間違いがあれば赤字で添削されるため、国語の勉強にもなる。マツダの入団同期の中には真面目に取り組まない選手もいたが、森保はコツコツ継続した。
『森保はああ見えてやんちゃなんよ』
森保の前年、1986年に長崎県立平戸高校からマツダに入団した前川和也も日誌を継続したひとりである。森保と同じく、のちに日本代表に選ばれた。現在は広島県福山市にあるFCツネイシでU-18監督を務めている。
ツネイシのクラブハウスを訪ねると、前川はこう振り返った。
「マツダに入団してからノートを書き始めて、ずっと続けていました。ノートは今でも家に残っていますよ。すごく役に立ちました。
森保がやんちゃだった? 僕は同じ長崎県出身とはいえ高校が違うのではっきりわかりませんが、長崎日大高校の出身者から『森保はああ見えてやんちゃなんよ』とは聞いていました。ただマツダにはパンチ佐藤さん(佐藤康之)とかもっとやんちゃな人がいたんで(笑)。そういう時代でした」
「森保、わしの真似しとる」
また、マツダの寮においては話し方教室や英語教室も積極的に行われた。森保は前述の『聞く、伝える、考える。』でこう語っている。
「人前で話をするという訓練では、定期的にテーマを考えてグループワークが実施され、人前でプレゼンテーションをすることもありましたし、社会性を身につけるという部分では英語を学ぶ時間もつくっていただいたりもしました。当時のクラブの方針としてオフトさんやビル・フォルケスさんなど、英語をしゃべる監督であったことも関係していたでしょう。当時から今西さんは先を見据えてインターナショナルな能力を身につけさせることで、世界にもつながる環境づくりをしてくださったのだと思います」
そして人前で話すときにも、サッカーノートが役に立った。今西はこう解説してくれた。