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「監督のお気に入りになればいい」“サッカー日本代表の得点王”上田綺世(25歳)驚きのストライカー生存哲学「点を取る方法を盗んでいた」
 

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池田博一

池田博一Hirokazu Ikeda

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2024/01/25 11:32

「監督のお気に入りになればいい」“サッカー日本代表の得点王”上田綺世(25歳)驚きのストライカー生存哲学「点を取る方法を盗んでいた」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

サッカー日本代表のストライカーとしてアジアカップに出場中の上田綺世(25歳)が自らのゴール哲学を語った

「ポジション争いは、駆け引きだと思うようにしました。よく自分が出られないときに他人を妬んで『監督に気に入られているから』とか言う人がいた。僕はそれが好きじゃなかった。そう思うなら、監督のお気に入りになればいいし、媚びを売るでも何でもすればいい。結局、お行儀よくやっていたら勝てないし、汚いことをしてでも“残ったもの勝ち”になる。残るために死に物狂いで何ができるかを考えて、やれることすべてをやりました」

 声を出すことに始まり、とにかく目立つ。シュート練習では確率にこだわり、試合では得点の可能性を見せるために動きを増やす。膝下のボールにはダイビングヘッドで飛び込むなど、ひたむきな姿勢を示した。

 身長も、高校2年には170cm台後半に。まだ細くて体負けはあったものの、フィジカルの自信がストレスを軽減してくれるまでになった。チームを背負う存在となり、自信は大きな成長の自覚へとつながった。

「高校3年になったとき、『あれ、こんなもんか』という感覚があったんです。気がついたら自分は成長できていた。レベルの高い苦しい環境で、いかにもがくか。自分の性格的にもそれが一番成長する環境なんだと知りました」

「お山の大将」からいかに脱却するか…

 ただし、プロになるためには“全国レベルの壁”を乗り越える必要があった。高校時代、茨城県内の「お山の大将」と自覚していたが、そこからいかに脱却するか。トップレベルで結果を残さなければ、その先はない。

“10番とキャプテン狩りの法政”

 上田が入学した法政大学は当時、こう呼ばれていた。Jクラブの育成組織出身はもちろん、年代別代表やプリンスリーグ得点王など輝かしい経歴を持つ選手に囲まれた。

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