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「監督のお気に入りになればいい」“サッカー日本代表の得点王”上田綺世(25歳)驚きのストライカー生存哲学「点を取る方法を盗んでいた」
posted2024/01/25 11:32
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph by
Kiichi Matsumoto
発売中のNumber1089・1090号掲載の[思考の軌跡を語る]上田綺世「得点王の生存哲学」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文はNumberPREMIERにてお読みいただけます】
ストライカーの存在価値を示した1年
2022年12月、初めてのW杯。夢に見た舞台での出場は、コスタリカとのグループステージ第2戦の前半のみに終わった。
結果を素直に受け止めた。
「活躍できる力がなかった。やっぱりまだ日本に貢献できる選手じゃないなと思いました。日本代表として出してもらって、W杯の舞台に立って、何もやれない。自分の中では良くも悪くも、それだけ。同世代が活躍するなか、自分は不甲斐ない結果に終わってめちゃめちゃ悔しかったけど、それも含めてまだまだだな、と」
翌年、上田綺世は日本代表で最多となる7ゴールを決めた。「固め打ちですから」とうそぶくも、ストライカーとしての存在価値を示した1年になった。
上田には、ブレない芯がある。
「僕の軸として、環境を選ばずどんな条件でも関係なく点を取る選手が一番いいFWだという考えがある。今の環境でどうやって点を取って、どうやって自分を表現して、チームに信頼されるか。そこに向き合い続けています」
何もできない、とにかく悔しい。そう思うたびに深く考え、もがき、実行に移して結果を出すことで生き残ってきた。
その原点は幼少期にある。上田は社会人リーグでFWとしてプレーする父の背中に憧れ、幼稚園年長のときに吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団でボールを蹴り始めた。
「自主練はもちろん、常に父と二人三脚でした。父が僕の土台を作ってくれました」
「点をとる方法をプロから盗んでいた」
見て勉強しろ。父親の方針に従い、毎晩、録画したスポーツ番組を見ては「このシーンをどう思う?」「何がすごい?」と具体的な質問攻め。好きな選手はエトー、シェフチェンコ、クレスポ、ラウール、インザーギといったゴールゲッターだ。世界のトップ選手のプレーから学んだ。