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「下着をハサミで切って、真っ裸にさせられ…」女子レスラー初の“オールヌード写真集”も、井上貴子のプロ意識「私にとっては“作品”です」

posted2023/09/02 11:01

 
「下着をハサミで切って、真っ裸にさせられ…」女子レスラー初の“オールヌード写真集”も、井上貴子のプロ意識「私にとっては“作品”です」<Number Web> photograph by L)AFLO、R)Takuya Sugiyama

今年デビュー35周年を迎える女子プロレスラーの井上貴子

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

PROFILE

photograph by

L)AFLO、R)Takuya Sugiyama

1988年に全日本女子プロレス興業(以下、全女)でデビューした井上貴子(LLPW-X)の名前を世に知らしめたのは、写真集だった。90年代初頭に訪れた空前の写真集ブーム、ヘアヌード解禁という時流に乗って、デビュー2年後の20歳で初トライ。45歳までで、通算10冊も出版した(デジタル写真集も含む)。

四半世紀もの長きにわたって、“売れるオンナ”であり続けた貴子が明かす、オールヌード写真集の撮影秘話、そして“プロ意識”の話。《NumberWebインタビュー第2回/#3に続く》

 出過ぎた杭は打たれないことを知った。まだ20歳。現役女子プロレスラー初のオールヌードに挑戦したのは、23歳。その後は高水準を保つために模索、発案、挑戦、探求を重ねた。アイドルレスラーから写真集クイーンの座に就くまでに、時間はかからなかった。やがて、被写体でありながらセルフプロデューサーとしての才覚も見せはじめ、道なきところに道を創っていった。

◆◆◆

23歳で「オールヌード」に挑戦した理由

貴子 3冊目(94年10月刊行の「Vertige」)でオールヌードになって、4冊目(95年12月刊行の「Body Oil」)でヘアヌードになったんだよね。当時は写真集ブームで、きわどいところまで見えてるか・見えてないかくらいのものは、すでにみんながやっていたから、そこで勝負しても埋もれてしまう。ほぼマネージャーのかほちゃんの意見で(笑)、「一流のスタッフを用意するから、ヘアヌードをやったらどう?」ということになって、出版業界ではすでにヘアが解禁されていたので、やったんですよね。

――ためらいませんでしたか。

貴子 3冊目で「オールヌードは女子プロレスラー初ですよ」ってうたっておきながら、撮影現場では(アンダーヘアを)出してるわけだから、気持ちとしてはあまり変わらないというか。現場では真っ裸で撮ってたんで、あまり変わらないよね……みたいな感じではありました。

――批判の声を耳にしましたか。

貴子 直接はないです。陰では言われていたのかもしれないけど。ただ、このときって、全女のなかで獄門党(ブル中野を総帥としたヒールユニット)とジャングル・ジャック(アジャコング&バイソン木村らによるヒール)が全面戦争をやってたのね。その抗争に入る気はさらさらないし、そういう闘いをやりたくて全女に入ってきたわけでもないから、私は私のやり方で進んでいますという気持ちではあったけど、全女の人たちは、「全面戦争をやってるのに、あなたは何やってんの?」と思ってたでしょうね。口をきいてくれない選手はいましたし、まだ。

――全女内に敵はいても、写真集チームは味方だった。

貴子 うん。話してくださらなくて結構です、私にかかわらないでくださいというオーラも出してたしね、全女では。だから、「生意気」って言われてた。

【次ページ】 打ち合わせにも参加…写真集で見せた“プロ意識”

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