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「自分がどう生きていくのかを見失っていた」FW上田綺世、“点を獲ること”への思考の軌跡<独占告白:幼少期からフェイエノールトまで>

2024/01/18
2023年、日本代表で最も多くゴールを決めたのは、カタールW杯で屈辱を味わったストライカーだった。中学時代から何度も壁にぶち当たってきた男はいかにしてオランダの名門にまで辿り着いたのか。

 2022年12月、初めてのW杯。夢に見た舞台での出場は、コスタリカとのグループステージ第2戦の前半のみに終わった。

 結果を素直に受け止めた。

「活躍できる力がなかった。やっぱりまだ日本に貢献できる選手じゃないなと思いました。日本代表として出してもらって、W杯の舞台に立って、何もやれない。自分の中では良くも悪くも、それだけ。同世代が活躍するなか、自分は不甲斐ない結果に終わってめちゃめちゃ悔しかったけど、それも含めてまだまだだな、と」

 翌年、上田綺世は日本代表で最多となる7ゴールを決めた。「固め打ちですから」とうそぶくも、ストライカーとしての存在価値を示した1年になった。

 上田には、ブレない芯がある。

「僕の軸として、環境を選ばずどんな条件でも関係なく点を取る選手が一番いいFWだという考えがある。今の環境でどうやって点を取って、どうやって自分を表現して、チームに信頼されるか。そこに向き合い続けています」

 何もできない、とにかく悔しい。そう思うたびに深く考え、もがき、実行に移して結果を出すことで生き残ってきた。

父と二人三脚で作ったサッカーの土台。

 その原点は幼少期にある。上田は社会人リーグでFWとしてプレーする父の背中に憧れ、幼稚園年長のときに吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団でボールを蹴り始めた。

「自主練はもちろん、常に父と二人三脚でした。父が僕の土台を作ってくれました」

 見て勉強しろ。父親の方針に従い、毎晩、録画したスポーツ番組を見ては「このシーンをどう思う?」「何がすごい?」と具体的な質問攻め。好きな選手はエトー、シェフチェンコ、クレスポ、ラウール、インザーギといったゴールゲッターだ。世界のトップ選手のプレーから学んだ。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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