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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
青学大・太田に並ばれた駒澤大・佐藤へ「絶対に気持ちでついて行け!」箱根駅伝の経験者→ガチ駅伝ファン・濱野将基が振り返る「引退して初めての箱根」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJMPA
posted2024/01/16 06:03
今年の箱根駅伝を象徴するシーンとなった3区。並走する2人を沿道から見ていた創価大OB・濱野将基は叫んだ――。
「先頭の大学はウォーミングアップを終え、すぐに走り出せるのですが、2番手以降はベンチコートを着て、じっと待っていないとダメなんです。僕の場合、2年時(97回大会)は先頭でスタートし、3年時、4年時は時間差で走り出しました。その違いは肌で感じました。寒さで硬くなると、アップをちゃんとしていても走り出しは思うように体が動きません。僕は調子が悪いのかな、と思ったくらいです」
選手を先導する1号車を目掛けて走れる“先頭効果”も大きいという。1番手で山を駆け下りた選手時代の記憶がよみがえってくる。濱野はテレビカメラを意識し、表情を崩さないように努めていた。
「少しでもきつい顔を見せれば、すぐに実況のアナウンサーが反応しますからね。『渡辺(康幸)さん、大丈夫ですかね?』って。見ている人たちは心配すると思うので、僕は頑張って表情をつくっていました(笑)。楽しそうに走っていると言われましたが、緊張していたし、走っているときは怖かった。終わってから、すぐ後ろで駒大の花崎悠紀さんが爆走していた(区間賞)のを知り、ヒヤヒヤしたのを覚えています」
もう一度、箱根路を走りたいな
100回大会の復路は濱野の予想どおり、先頭を走る青学大の独走劇となったが、4年生たちの走りに心を動かされた。レース前からキーマンの一人に挙げていた駒大の安原太陽には、勝手に感情移入していた。2年時に3区で区間16位と悔しさを味わい、3年時は7区で区間5位。1度失敗している選手は精神的に強いという。4年目に懸ける思いは、ひしひしと伝わってきた。
「本人には聞こえていなかったかもしれないですが、7区で『ラスト、頑張れ』と声掛けをしました。青学大とのタイム差はありましたが、最後まで4年生がしっかり走っている姿に感動しました。僕も気持ちは分かるので」
10区は創価大OBの同期たちと母校の応援に専念。田町駅から沿道に向かうと、黒山の人だかりできていた。最前列に出ることなどは不可能に近い。走っている選手もほとんど見えなかった。大歓声がこだまするなか、「もう一度、箱根路を走りたいな」という気持ちが湧き上がってきたという。かつて濱野が走った区間は、ほとんどが山中のコースを走る6区。交通規制された都市部のど真ん中を走るアンカーを純粋に羨ましく思った。感傷に浸りながら前を見れば、母校の襷をかけた上杉祥大が歯を食いしばって腕を振っていた。