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立浪和義がいたPL学園「野球部は解散だ」悲劇から最強チームに…桑田・清原3年時に入学、関係者明かす“タツの素顔”「批判される現状ですが…」
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byAFLO
posted2024/01/11 11:01
PL学園唯一の春夏連覇に導いた立浪和義
「タツはとにかく野球が好きなことが伝わってくる中学生でした。身体は大きくなかったし、スローイングにもちょっとした癖があった。だけどグラブ捌きとフットワークが素晴らしく、打つ方でもスイングスピードに加え、ミート力に長けていた」
当時スカウト「タツが優れていたのは…」
PLで常勝軍団を構築したあと、青森山田やノースアジア大明桜(秋田)でもスカウトを担当した井元も、86歳となった現在は高校野球と距離を置く。半世紀以上のスカウト生活を振り返ってみると、立浪よりも守備の上手い選手や身体能力に長けた選手はほかにもいた。
「ショートの守備に関してはKKコンビの1歳上にあたる旗手浩二(サッカー選手・旗手怜央の父)ですね。身体能力においては松井和夫(現・稼頭央、埼玉西武監督)に勝る選手はいなかった。松井は高校時代、投手でしたが、175cmほどの身長なのに、バスケットでダンクシュートを決められるほどジャンプ力があり、全身がバネのようだった。タツが優れていたのは野球と向き合う姿勢であり、選手を束ねる人間力だった」
ところが、立浪はナニワボーイズの監督とつながりが深かった大商大堺に進学することが決まっていた。それゆえ、井元も一度は立浪の入学を断念したが、受験間近になって、立浪が翻意する。ナニワボーイズの監督から連絡を受けた井元は「大歓迎です」と伝え、橋本と共に立浪の入学も決まった。
「これは断じて言うんだが、決して裏取引のようなものはなかった。PLの練習は全体練習が短く、監督の中村順司(当時)も細かい技術は教えなかった。野球と向き合う姿勢を説いて、練習はやらされるものではなく自らやるものだということを徹底した。だからこそ、全体練習は2時間から3時間ほどで、あとはそれぞれ足りないところを自主練習した。自ら考えて取り組む練習こそ真に身につくということをPLの選手は分かっていた」
本人が語っていた「PL時代の思い出」
当時について立浪は、2018年に行った筆者のインタビューでこう回想している。