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阪神監督とケンカで“まさかの降格”名物スコアラーが告白「試合後ミーティングで…」“電撃就任”の野村克也に訴えた「勝たせてください」
posted2023/11/28 11:00
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
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黄金時代を迎えるヒントは先人の逸話に隠されている――。阪神は1985年の日本一の2年後にリーグ最下位となり、暗黒時代に突入。次の歓喜は2003年まで待たなければならなかった。星野仙一監督の元で18年ぶりの優勝を果たし、2年後も岡田彰布監督でリーグ制覇。タイガース時代の到来かと思われたが、再びペナントから遠ざかり、今年ようやく18年ぶりに優勝を飾った。
「阪神には歴史はあるんやけど、良い意味での“伝統”がなかった。だから、85年の日本一は一過性で終わってしまった。それから十数年経って、野村さんや星野が監督になって、徐々に“伝統”を根付かせていった。一筋縄じゃいかなかったけどな」
98年オフ、野村克也がやってきた
1998年オフ、暗黒期の阪神に野村克也がやってきた。Bクラスの常連だったヤクルトを9年で4度の優勝に導いた名将の監督就任が決まった直後、三宅のもとに高田順弘球団社長から電話が掛かってきた。
高田:野村さんから「スコアラーがろくな仕事をしてないから、阪神は弱いんやろ」って言われたんや。どうや?
三宅:ウチは、野村さんのデータのいいとこ取りをしとります。ヤクルトのコンピュータを見ましたけど、ウチのほうが数段上やと思うてます。
高田:ほんまやな。
三宅は95年オフ、ヤクルトから阪神に移籍してきた広沢好輝に『野村ノート』を見せてもらい、データ分析に役立てていた。
「ミーティングの内容を書いたノートを4冊借りたんよ。とても参考になった。投手は牽制を何球まで続けるか。打者のファールは痛烈か、タイミングが合わなかったのか。サインに首を振った後に何を投げるか。それまで阪神になかった項目をたくさん取り入れるようにした」
野村に訴えた「勝たせてください」
年が明け、三宅は野村と甲子園球場の監督室で対面した。「何か足りない所があったら言ってください。開幕までには作り直しますから」と前年のデータを渡すと、野村はじっと読み込んだ。数分の静寂が流れた後、こう呟いた。