巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「帰れ! この裏切り者」中日ファンが落合博満に痛烈ヤジ…信子夫人「落合だって怒ってるわよ」“じつはボロボロだった”40歳落合が巨人を変えた
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/11/12 11:02
40歳目前で巨人に移籍した落合博満。じつはその身体は“傷だらけ”だった
「40歳を目前にしての大きな決断だったが、巨人の監督だった長嶋茂雄さんがOBや世論の向かい風を受けながらも声をかけてくださり、私に新たな道を開いてくれた。(中略)それと同時に、これまで信念として貫いてきた三冠王を狙うという大前提を頭の中から外した。現役16年目にして初めて長嶋茂雄のために戦うことにしたのである」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
マッサージの時間も1時間、1時間半と日に日に延び、体の負担を減らそうとマイカー通勤ではなく、ハイヤーと年間契約を交わしていたが、車に乗る際に右ワキをかがめると激痛が走るので、常に左側のドアを利用するほどだった。遠征先のホテルでも外出はせず、部屋でひたすら泥のように眠り疲労回復に努めた。
信子夫人「落合だって怒ってるわよ」
チームは4月を13勝6敗の首位で終え、月間MVPには松井が選出される。落合も打率こそ低かったが、打点はリーグトップを争っていた。「入団のとき、現場が必要だと言ってるのに関係ないOBがしゃしゃり出てジャマしたから、落合だって怒ってるわよ。だから意地を見せなきゃならないでしょ」(週刊宝石94年6月2日号)と信子夫人は明かしたが、その獲得に否定的だったOBや野球評論家たちも“落合効果”を認めざるを得ない快進撃である。
野球人気低迷が囁かれた巨人戦ナイター中継のテレビ視聴率は、Jリーグ中継を大きく上回る連日20%超えを記録。読売新聞社の渡邉恒雄社長も「あんまり勝ちすぎると、今度はお客さんが来なくなる。スリルがなくなるし、ほどほどでいいよ」なんて余裕の勝利宣言だ。
すべては順調なように思えた1994年春の長嶋巨人だが、大黒柱の落合博満の肉体は、すでに周囲が思う以上にボロボロだった。迎えた5月、満身創痍の40歳に対する各球団の内角攻めはさらに厳しさを増していく。落合さえ潰せば、巨人は止まる。背番号60は、開幕1カ月にして正念場を迎えていた――。
<続く>