巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

「ん? 落合さんは何かが違う…」落合博満40歳の世話係になった“甲子園アイドル”の告白「お前さぁ、ビビるんじゃないよ」落合はこうして巨人を変えた

posted2023/11/12 11:01

 
「ん? 落合さんは何かが違う…」落合博満40歳の世話係になった“甲子園アイドル”の告白「お前さぁ、ビビるんじゃないよ」落合はこうして巨人を変えた<Number Web> photograph by Asahi Shimbun

1994年、巨人での開幕戦でいきなりホームランを放った落合博満(当時40歳)。写真は同年のトスバッティング

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第7回(前編・後編)、巨人1年目にして早速“落合効果”が出る。「さすがは落合だ」(ナベツネ)……前年、借金2でセ・リーグ3位に終わったチームを落合博満はどう変えたのか? 【連載第7回の前編/後編も公開中】

◆◆◆

「うまく振り遅れたな」

 1994年4月9日、2本目のホームランを東京ドームの左翼スタンドに放ち、ホームを踏んだ松井秀喜は、ハイタッチを交わす40歳の四番打者・落合博満にそう声をかけられた。大ベテランからの賛辞に、「その通りです」と苦笑いする19歳のスラッガー。ヘッドを遅らせ気味に出して逆方向に運んだ技ありの一打に、松井本人も「練習でもあんなスイングできませんよ」なんて驚いてみせた。10代での開幕戦2本塁打は、1953年の中西太(西鉄)以来の快挙だった。

 前年はリーグワーストのチーム打率.238。この春のオープン戦も6勝12敗、勝率.333と12球団中11位の成績で終えた長嶋巨人のシーズン前の評価は決して高くなかった。だが、春先にオレ流が「野手を代表して宣言します。今年は5点取ります」と宣言した通り、広島との開幕戦では初回から5得点と打線が爆発。背筋痛で調整遅れが心配された松井と、オープン戦を11打席無安打で終えた落合のアベックアーチが飛び出し、11対0と大勝したのだ。

ナベツネが絶賛「さすがは落合だ」

 これには“ナベツネ”こと読売新聞社の渡邉恒雄社長も、「笑いが止まらんよ。云うことなしだ。巨人は錆びついてなかったろ。日本テレビによくいっとけ!」と開幕前にナイター中継の広告コピー「巨人を棄てる。」を巡り、ひと悶着あった日テレを自らネタにしつつご満悦。落合については、「彼は、4月9日をもって人が変わるといってたんだ。直接、オレにだよ。その通りじゃないか。大したもんだよ。さすがは落合だ」と絶賛した。なお、この開幕戦のテレビ視聴率は26.3%。瞬間最高視聴率は39.7%まではね上がり、巨人人気の健在ぶりを印象づけた。

 球団では1987年の西本聖以来の開幕完封勝利をあげた斎藤雅樹は、その7年前は二軍生活中で雀荘から一軍の西本の快投を見ていたという。いまや“平成の大エース”へと駆け上がった背番号11は、愛息の幼稚園初登園日を完封で飾り、「入園祝いはもちろん、ウイニング・ボールですよ」なんて安堵の笑み。計7打点の“MO砲”とともにヒーロー3人揃い踏みのお立ち台に上がり、落合とがっちり握手を交わした。

落合「今日は絶対に完封しろ」

 実は試合終盤の8回表、ふたりはグラウンド上である会話を交わしていた。

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