巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「帰れ! この裏切り者」中日ファンが落合博満に痛烈ヤジ…信子夫人「落合だって怒ってるわよ」“じつはボロボロだった”40歳落合が巨人を変えた
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/11/12 11:02
40歳目前で巨人に移籍した落合博満。じつはその身体は“傷だらけ”だった
巨人移籍後、初めて古巣の本拠地に登場した落合は、第2打席で左翼席中段に挨拶代わりの4号ソロを叩き込む。打たれた山本昌も「敵に回すと恐ろしいバッターですよ」と脱帽する一発を放ち、翌20日には自分の守備のミスから動揺する先発の桑田真澄にすかさず一塁から近づき、「なにをそんなにカッカしてんの?」と声をかけた。
だが、落合のバットは次第に湿りだす。実は開幕直後から左ふくらはぎの古傷に加え、アキレス腱もかなり腫れており、普通なら欠場してもおかしくない状態だった。追い打ちをかけるように20日の中日戦の守備中、一塁に走り込んできた種田仁と激突。右のワキ腹を強打してしまう。試合には出続けたが、「バットがまともに振れない」という重症でこの日から6試合、自己ワーストの28打席連続ノーヒットのスランプ。だが、その不振の間も落合は10個の四死球を選び、犠牲フライを一本打った。
「落合さんを見ると“休ませて”なんて言えない」
「見ていて、かなりシンドいのは分かるんです。でも、そのなかでキッチリとボールを見極めて、フォアボールを選び抜いている。出塁率を見てくださいよ。落合があそこ(四番)にいる意味は、それで十分といえますよ」(週刊ベースボール1994年5月30日号)
長嶋監督は傷だらけの四番をそう称えたが、攻守に存在が大きすぎてなかなか休ませることもできなかった。さらに27日の広島戦で、長冨浩志から左背中に死球を受けて悶絶。しばらくコルセットを着け、その後もテーピングを巻いて打席に立ち続ける。「どうだ、何試合か休んで、体を戻してから、また試合に出たら」とさすがにミスターも欠場を勧めたが、落合は頑なに休もうとしなかった。世間の“ワガママ”というイメージとはあまりにかけ離れたその姿に同僚の篠塚は、「落合さんを見ていると、自分がちょっと体調が悪いから休ませてくれなんて言えない」と呟いたという。
「三冠王を狙う」をやめた事情
三冠王獲得を公言し、打撃タイトルを獲り続けることで己の存在価値を証明してきたあの個人主義者のオレ流が、打率2割2分台にまで落ち込んでも、愚直に四球を選び続ける。少年時代から長嶋茂雄に死にたいくらいに憧れた男は、巨人移籍の際にひとつの誓いを立てていたのだ。