巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「帰れ! この裏切り者」中日ファンが落合博満に痛烈ヤジ…信子夫人「落合だって怒ってるわよ」“じつはボロボロだった”40歳落合が巨人を変えた
posted2023/11/12 11:02
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
BUNGEISHUNJU
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第7回(前編・後編)、巨人1年目(1994年)にして早速“落合効果”が出る。「さすがは落合だ」(ナベツネ)……前年、借金2でセ・リーグ3位に終わったチームを落合博満はどう変えたのか?【連載第7回の後編/前編も公開中】
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まさか…長嶋監督から真夜中の電話
広島に開幕2連勝の絶好のスタートを切った長嶋巨人は、前年10勝16敗と苦手にしていたベイスターズの本拠地・横浜スタジアムに乗り込む。迎えた初戦、昨年7敗を喫した野村弘樹から、落合博満は第1打席でいきなり2号アーチを放って天敵をKOすることに成功。しかし、オフに横浜から巨人に加入して守備固めでセンターに入っていた屋鋪要が、同点に追いつき迎えた9回裏にロバート・ローズの打ち上げた左中間へのフライを捕球できず、サヨナラ負けを喫してしまう。強風と雨に流され、記録上は二塁打だったが、ベテラン屋鋪にとっては古巣相手の屈辱の落球である。シーズン前に、“5点打線”に加え、僅差の終盤に守りのスペシャリストを起用して守りきる、“アメフト野球”を標榜していた長嶋監督にとってもショックの大きい敗戦だった。その夜、悔しさで帰宅後も眠れずにいた屋鋪家の電話が鳴る。
「ああ屋鋪、きょうはご苦労さん。別に用事ではないんだけど、いやな思いをしていると気の毒だと思って電話したんだ。あのローズのフライ、あんなのは君が捕れなければ、誰も捕れないんだ。あんなコンディションのなかで野球をやること自体が間違いで、君のミスでもなんでもない。きょうはゆっくり休んで、またあす頑張ってくれ」(わが友 長嶋茂雄/深澤弘/徳間書店)
なんと長嶋監督から直々の真夜中の激励電話だった。前年オフに駒田徳広が「監督とはほとんど会話すらできなかった」とFAで巨人を去ったが、その反省もあり、1994年のミスターは選手たちとの距離を縮めるように自ら意識改革していたのだ。あの天下の長嶋茂雄が、自分たちのために変わろうとしている。その事実は、思いがけぬ電話に救われた屋鋪だけでなく、ナインの背中を後押しした。チームは痛恨の敗戦を引きずることなく、翌日から苦手の横浜相手に連勝を飾るのである。
“じつはボロボロだった”落合の身体
「帰れ! この裏切り者」
4月19日、ナゴヤ球場のスタンドからそんなヤジが背番号60に向かって飛んだ。