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「野球なら内野を2人で守るようなもの」…王者・法政大を倒すため“偏差値70超え”国立大弱小アメフト部が仕掛けた「1年越しの奇策」とは?
posted2023/08/26 11:02
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
取材対象者提供
「“関東制覇”じゃないだろ。“打倒法政 関東制覇”だろ」
2006年の12月末。翌年に最高学年を迎える一橋大学アメフト部の次期4年生たちは、底冷えのする部室で喧々諤々の議論を交わしていた。
小平市のキャンパス内にある20畳ほどの部室は、暖房も整備されておらずとにかく寒い。それぞれ毛布にくるまりながら、10数人もの部員が白熱して議論を交わす光景は、傍から見れば異様な雰囲気でもあった。
議題は翌シーズンの「目標設定」についてだった。
チームでエースランニングバック(RB)を務め、後にオールジャパンのメンバーにも選ばれることになる渡辺裕介はこう振り返る。
「それまでの2年間は法政大が大学日本一に輝いていました。名実ともに最強のチームだったわけです。だからこそ、そこに勝って初めて意味があると思った」
学生アメフト界の「絶対王者」だった法政大
渡辺がそう語るように、当時の学生アメフト界で、法政大の強さは圧倒的だった。
日本代表に名を連ねるような選手たちも多く在籍し、渡辺たちが入学した2004年のリーグ初戦で敗れて以降の3年間、関東の学生相手の公式戦ではただの1度も負けたことがなかった。
「当時の関東1部リーグは1ブロック8チームの総当たり戦でしたから、勝敗によっては法政に負けても彼らが取りこぼせば関東制覇や日本一を達成できる可能性もあった。でも、それじゃやっぱりダメだろうと」
1年生の時は試合でひとつも勝てなかった。
2年生でようやく1部で初勝利をもぎとると、3年時の公式戦では勝ち越すことができた。では次に狙うのは――日本のトップだろう。そのためには、最強を倒す必要があると考えた。
ただの「関東制覇」ではなく、その前についた「打倒法政」の4文字。それは裏を返せば、たった1校との戦いのために1年間を費やすというギャンブルのはじまりでもあった。