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「外資系コンサル+アメフト」の超合理的指導がヒント?… “偏差値70超え”難関国立大の弱小チームがスポーツ推薦ゼロで「日本一」に挑んだ話
posted2023/08/26 11:01
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
左:東京都HPより/右:取材対象者提供
「今年はヒトツバシが強いらしい」
いまから約15年前の2007年のことだ。秋の本シーズン開幕を控えた学生アメリカンフットボール界では、そんな噂が躍っていた。
ヒトツバシ……? あぁ、一橋かぁ。
正直、そんなワンクッションが必要なほど、少なくとも学生アメフト界で「一橋」と「強い」という言葉の間には大きな隔たりがあった。
その隔絶には明確な理由がある。一橋大学は東京の国立市に本拠地を置く文系の国立大学だ。日本では東大に次ぐ入学難易度を誇り、予備校などでは日本屈指の難関校として常に名前が上がる名門大学である。当然ながら強豪私立校とは異なりスポーツ推薦制度はない。加えて大学規模も小さいこともあり、スポーツの世界でその名前を聞くことはほとんどないと言ってよかった。
ところがこの年、考えられないことが現実に起きることになる。
一橋アメフト部は秋のリーグ戦を全勝で折り返し、前年まで2年連続で日本一に輝いていた“絶対王者”法政大学との全勝対決に挑むことになったのだ。そしてその試合は、まさに最後まで展開の読めないがっぷり四つの戦いとなる。
高い受験難易度、学生数の少なさ、スポーツ推薦ナシ――なぜこの年の一橋は、多くのハンデを抱えながら、それほどの快進撃を続けることができたのだろうか? その理由を紐解くには、さらに時計の針を巻き戻す必要があった。《全4回の1回目/#2、#3、#4へ》
◆◆◆
スポーツを続ける気はなかったエース選手
「友達、できないんだろうなぁ」
2004年の春、渡辺裕介はそんなことを考えながら一橋大の国立キャンパスの門をくぐっていた。
渡辺は後にチームでエースランニングバックを務め、オールジャパンにも選ばれることになるのだが、入学のタイミングではもちろんそんなことは知る由もない。
岐阜の県立高校出身だった渡辺は、担任の勧めもあり一浪の末に一橋大に合格した。高校時代にはラグビーをやっていたが、県大会で3位が最高成績。花園などの大きな大会に縁があったわけではない。大学でもスポーツを続けるつもりはなかったという。
「当時は日銀総裁を務めた速水優さんとか、竹中平蔵さんとかOBが結構メディアにも出ていて。そういうのを見て、経済学者にでもなりたいなとか考えていましたね」
もともといわゆる“超進学校”でもない地方公立校の出身だった渡辺にとって、一橋は決して身近な大学ではなかった。そんなこともあって「ガリ勉しかいない」というイメージを持っていたという。ところが合格発表直後から渡辺のもとには妙に身体のデカい、ハイテンションの集団が駆け寄ってきた。