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千代の富士を知らずに角界入り…“サンクチュアリ猿谷”を演じたAmazon配達員が語る力士時代の後悔「タニマチが…当時の俺をぶん殴りたい」
posted2023/06/26 11:04
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Yuki Suenaga
澤田賢澄が角界入りを決めたのは、中学2年生の時に弟の憲輝(のちの千代の国)と九重部屋の名古屋宿舎を見学に行ったことがきっかけだった。
どうして九重部屋だったのか。父親が千代の富士を好きだったからというだけで特に理由はなかった。
幼い頃から格闘技好きの父に空手をやらされてきた澤田本人は、入門を決めた時でさえ千代の富士のことは知らなかった。何かのテレビ番組で特集されていた千代大海のことは辛うじて知っていた程度で、相撲の知識は皆無。当時はとにかく親元を離れたい一心で入門を決めた。
「それで入ってから師匠の素晴らしさを知るっていう……遅すぎますか(笑)。いろいろな映像を見ていたら、すごい人じゃん!なんなの、国民栄誉賞って!?と思いました」
原因不明の高熱「これはおかしいぞ」
優勝31回を誇る大横綱の下で研鑽を積む日々。ジェファーソン骨折と呼ばれる頸椎の骨折や膝のケガも乗り越えた。しかし、入門から約9年が経った2011年の春頃、体にこれまでにない異変を感じた。
「最初は不明熱が出たんです。夜になったら40度くらいの熱が出て、朝になったら下がってる。それが今度は朝と夜で逆転する。これはおかしいぞということで病院に行きました」
いくつかの病院を回り、師匠が紹介してくれた病院でようやく出た診断は腎炎。食事療法による塩分量の制限で症状は落ち着いていったが、半年間で体重は40kg近く落ちてしまった。いくら戻そうとしても若い頃のようには食べられないし、太れない。稽古をすればするほど引き締まってしまう。
ちょうどその頃、弟の千代の国が幕内に昇進した。兄の自分も、とはもう思えなかった。それで潮時を悟った。