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「通用するはずがない」26歳の日本人が“年俸980万円”でメジャー挑戦…28年前、“人気急落”のアメリカ野球を救った野茂英雄の伝説
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/05/04 11:02
日本での安定した地位を捨て、自分の力を試す道を選んだ無口な若者が、アメリカ野球の救世主になった(写真はイメージ)
「四球の数」に大差の理由
二人の差で最も顕著なのが四球数で、野茂の109に対して山本は40。
野茂は、四球で出したランナーを背負いながら、最後は高めの速球か消えるフォークで三振というのが定番だった。事実、新人から4年連続でパ・リーグの与四球王。それでも抑えるという典型的なパワーピッチャータイプだった。
対して山本は精密な制球を誇る。この制球力の差はそのまま、WHIP、そして防御率の差の原因になり、いずれも山本が上回った。先述した「打者圧倒度」という視点では、山本に軍配を上げざるをえない。
以上からオールタイム・チャンピオンは沢村栄治、パートタイム・チャンピオンは山本由伸でタイトルの防衛とする。
筆者は、近鉄時代の野茂を目撃しているが、西武の四番・清原和博との力と力の対決の場面の迫力は、いまでも目に焼きついている。野茂はフォークを封印して、ストレート一本で1歳年上の西武の主砲に挑んでいった。
メジャー挑戦初年度のオールスターで、当時世界最高のスラッガーと言われたフランク・トーマス(シカゴ・ホワイトソックス)を2ストライクと追い込んだとき、捕手のピアザは三振を取ろうとフォークのサインを出したが、野茂は首を振って思い切りストレートを投げ込んだ。結果はびっくりするほど高く上がったキャッチャーフライだったという。(「僕のトルネード戦記」野茂英雄 集英社文庫)
米メディア「野茂は野球の救世主」
日本での安定した地位を捨て、より高いレベルで自分の力を試す道を選んだ無口な若者は、トルネードと呼ばれたユニークなフォームから繰り出す最速157キロのストレートと打者の手元で消えると恐れられたフォークボールで三振の山を築き、全米を熱狂させた。そして、その熱狂は、二度の世界大戦中も開催されていたワールドシリーズを中止に追い込んで、この年の開幕をひと月も遅らせた232日間に及ぶ選手のストライキで失われた野球への関心を引き戻した。
「野茂は、アメリカでは野球という国民的娯楽の救世主となり、日本でも国民の誇りの象徴になった」(シカゴ・サンタイムズ1995年9月13日)
本場の野球人気を取り戻した救世主であり、日本人のメジャー挑戦の扉をこじ開けたパイオニア、野茂英雄。彼が残した功績は今後も色褪せることはない――そう断言できる稀有な野球人である。
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