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「通用するはずがない」26歳の日本人が“年俸980万円”でメジャー挑戦…28年前、“人気急落”のアメリカ野球を救った野茂英雄の伝説
posted2023/05/04 11:02
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
Kazuaki Nishiyama
球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。金田正一、江川卓、山本由伸、沢村栄治らに続く第10回は、日本人選手にメジャーへの道を拓いたパイオニア・野茂英雄(近鉄-ドジャース他)だ。
野茂がメジャーデビューした日
日本のプロ野球発展に大きな影響を与えた投手を二人挙げるとするなら、それは沢村栄治と野茂英雄だろう。
1934年11月20日。弱冠17歳の沢村栄治が、静岡草薙球場でベーブ・ルース率いるメジャーリーグ・オールスターチームから三振の山を築いた。
この日を境に「日本プロ野球が始まった」といわれるなら、「日本プロ野球の門戸が開かれた日」は野茂英雄のメジャーデビューになるだろう。
1995年5月2日。近鉄からロサンゼルス・ドジャースに移籍した野茂英雄が、サンフランシスコのキャンドルスティックパークでジャイアンツを相手に5回を投げて1安打、7奪三振、無失点に抑えた。終戦後長く“鎖国”していた日本プロ野球が、世界に開かれた瞬間だった。
メジャーへの初の挑戦者になった野茂(1964年に南海の村上雅則がサンフランシスコ・ジャイアンツの一員としてメジャーデビューしているが、村上は南海所属の選手として野球留学中のテンポラリーの出場だった)は当時、間違いなく日本最高の投手の一人だった。
プロ1年目成績が驚異的だった
1989年のドラフトで、新日鉄堺に所属していた野茂は史上最多となる8球団から1位指名を受けた。それも、東北福祉大学の佐々木主浩、NTT東京の与田剛、早稲田の小宮山悟、松下電器の潮崎哲也、野手では上宮高校の元木大介ら錚々たる顔ぶれが揃う中での競合指名である。