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「通用するはずがない」26歳の日本人が“年俸980万円”でメジャー挑戦…28年前、“人気急落”のアメリカ野球を救った野茂英雄の伝説 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2023/05/04 11:02

「通用するはずがない」26歳の日本人が“年俸980万円”でメジャー挑戦…28年前、“人気急落”のアメリカ野球を救った野茂英雄の伝説<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

日本での安定した地位を捨て、自分の力を試す道を選んだ無口な若者が、アメリカ野球の救世主になった(写真はイメージ)

 近鉄入団1年目の1990年、野茂は18勝8敗の好成績で、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と投手4冠を達成。併せて新人王、ベストナイン、MVP、沢村賞を受賞するという鮮烈なデビューを飾った。日本プロ野球史上、新人王・MVP・沢村賞を同時に受賞したのは野茂一人である。また、この年の三振奪取率10.99は、2019年の千賀滉大(11.33)に破られるまでパ・リーグ記録だった。

 そこから4年連続で最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。この「新人から4年連続で最多勝・最多奪三振」も、プロ野球史上、野茂のみである。

 こうして、順調に日本屈指の投手に成長していったが、5年目の1994年に運命が暗転する。

メジャー挑戦を決めるまで

 前年の1993年から近鉄の監督が、野茂のよき理解者だった仰木彬から鈴木啓示に変わった。鈴木は、野茂の特異なトルネード投法に否定的で、四球を減らすためにフォーム改造を主張していた。

 さらに、こんな「事件」もあった。シーズン途中から右肩痛に悩まされていた野茂は、7月1日の西武戦で制球が定まらず、なんと16四球(日本記録)を献上。結果として完投勝利を収めるも、途中交代することなく甲子園もびっくりの191球を投げさせられた。

 鈴木による、みせしめとも取れるような酷使によって故障を悪化させた野茂は、その後登録を抹消され、結局このシーズンは8勝、126奪三振に留まり、デビュー年から続けていた最多勝と最多奪三振の連続受賞記録が途絶えてしまった。

 1994年のオフの契約交渉で、野茂は複数年契約と代理人による交渉を持ちかけて球団と対立。故障で投げられないままシーズンを終えた投手の主張を、マスコミも“わがまま”と批判的に報じて、すっかり悪役になってしまった。

 結局、近鉄との交渉は決裂。野茂は日本のどの球団にも移籍できない任意引退選手となった。

【次ページ】 「年俸980万円」を選んだ

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