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野球クロスロードBACK NUMBER
「だからみんな桐蔭を選ぶ」大阪桐蔭OB・平田良介が明かす“西谷監督の素顔”「ナゾの言葉『どぅい』を持ってるんです」…その意味とは
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama/JIJI PRESS
posted2023/03/27 11:01
大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督は、どんな言葉で平田良介に“魔法”をかけたのか。甲子園に5本のアーチをかけた平田が高校時代を振り返る
「正直、『大阪で甲子園に出たい』って気持ちはずっとあったんです。そこで西谷先生ですよね。ずっといるんですよ、試合に(笑)。通い詰めてるんです。で、直接お話を聞かせてもらった親からも西谷先生の熱量がすごく伝わってきて。『大阪桐蔭なら任せていい』って言われたら、そりゃあ気持ちは傾きますよね」
なぜ子供たちは大阪桐蔭の門を叩くのか
当時の大阪桐蔭は、まだ部員全員が寮に入るわけではなく、地元出身の平田は自転車で片道1時間の距離から学校に通っていた。
理由はただひとつ。寮の規則が厳しいから。
まず、携帯電話の使用が禁止。これは今と変わらないが、この頃は生駒山にあるグラウンドまで電波が届きづらく、監督の西谷らスタッフたちですら練習中の主な通信手段が固定電話という時代。したがって、選手が使用できたとしても無用の長物だった。高校生からすれば、それよりも「お菓子禁止」「ジュース禁止」といった生活に密接な飲食を制限されるほうがきつかった。だから、平田は片道1時間の通学を選んだのだという。
なぜ、それをわかっていながら、彼らは大阪桐蔭の門を叩くのか?
「……自分は家でお菓子食べ放題、ジュース飲み放題の身分だったんで、説得力はないとは思うんですけど」
笑いながらも恐縮した表情を見せ、平田は客観論として彼らの心情を代弁する。
「他の高校、ましてや強豪校の人たちはめちゃくちゃ努力しているのは知ってます。でも、大阪桐蔭だって同じくらい頑張ってるし、ここで頑張れば先が見えるんです。だからみんな、いろんなものを犠牲にするとわかっていても桐蔭を選ぶんだと思います」
自宅では普通の高校生のように心を弛緩できていた平田でも、ユニフォームを着ればグラウンドという戦場に立つ、大阪桐蔭のいち部員であることに変わりなかった。
プロに進んだ中村剛也や岩田稔、西岡剛たちのように、平田の先輩の時代から大阪桐蔭の戦力は全国レベルの厚さとなっていた。それは必然的に競争の激しさを意味している。
平田の同世代にも、のちに156キロを叩き出し巨人に高校生ドラフト1巡目で入団する辻内崇伸がいた。大阪桐蔭はシート形式の実戦練習が多く、当然、辻内との対戦だってあるわけだ。そういったハイレベルな相手との切磋琢磨によってキャリアが開けてくると信じているからこそ、彼らは山を切り拓いたグラウンドで修練を積むのである。