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野球クロスロードBACK NUMBER
「ダルビッシュさんが一番スゴかった」平田良介が語る大阪桐蔭時代“3人の強敵”「マエケンに勝てたのはまぐれ」「マー君の球は直角に…」
posted2023/03/27 11:02
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
高校通算70本。
PL学園の清原和博と福留孝介、星稜の松井秀喜と、甲子園を沸かせたバッターをも凌ぐホームラン数を記録しながら、平田良介は大阪桐蔭時代の自分を「スラッガー」と評されると、釈然としない様子で首をかしげる。
「一応、そんくらい打ったっていうのはありますけど、自分は『ホームランバッターじゃないな』っていうのはわかってたんで」
本数だけで判断できないプレーヤーとしての視点と感性。平田にはその根拠があった。
「賞金制」だった平田家のお小遣いシステム
まず弾道だ。平田の打球はライナー性がほとんどで、オーバーフェンスすることが多かったのは「パワーがそれなりにあったからだと思う」と分析している。
他者と比較することによって、バッターとしてタイプの違いを再確認することもできた。
中学時代から対戦経験があり、高校でも平田とともに長距離ヒッターとして注目を浴びていた履正社の岡田貴弘(T-岡田)。あるいは、平田の2学年下で大阪桐蔭入学後に「スーパー1年生」として話題となった中田翔。彼らが描く放物線を目の当たりにし、「こういうんが本当のホームランバッターなんだな」と納得する自分がいた。
直球で訊く。ではなぜ、70本ものホームランを量産できたのか?
「なんでしょうね。『賞金制』やったところじゃないですかね?」
平田は少し考えてから、くすくすと笑いながらそう答えた。
中学生になってから、試合でホームランを打たなければお小遣いが貰えないシステムを親から課せられたという。この3年間は「1本1000円」。高校では、1本あたり「練習試合1000円」「公式戦5000円」「明治神宮大会と甲子園は1万円」と細分化された。
だからと言って小遣い欲しさに試合でホームランを狙っていたわけではなかった。中学から「甘いボールが来たら初球からでも積極的に振っていく」という姿勢。しっかりコンタクトできれば長打を打てる自信があったし、その延長線上にホームランがあることも理解していた。だから平田は、自分のスタイルを崩すことなく、結果的に多くのオーバーフェンスを実現できたという。