スポーツ百珍BACK NUMBER
東大卒プロ投手に信頼された捕手…喜入友浩アナが考える“報道とスポーツ実況の共通点”「大越健介さんもそう思われているそうですが」
posted2023/02/18 11:17
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph by
Takuya Sugiyama
一浪しての東大入学、その後プロで活躍する選手たちとの戦い……TBS喜入友浩アナウンサーは勉学・野球ともに頭脳を駆使して戦ってきた。第3回では頼れる1学年下のエース、そしてアナウンサー内定と現在の仕事について聞いてみた。
宮台に絶対的な信頼を置いてもらわないと
東大は喜入が最上級生となった2016年にシーズン4勝を挙げた。喜入が3年春で初めて味わった勝利の味(そこまでチームは94連敗をしていた)を考えれば――もちろん勝ち点は奪いたかっただろうが――相対的に素晴らしいシーズンだったと言えるだろう。
その原動力となったのは左腕エースの宮台康平だった。
湘南高校から東大に入学した宮台は、六大学通算6勝を挙げ、大学日本代表にも入った。その後ドラフト7位で日本ハムに入団し、トライアウトを経てヤクルトに。昨季限りで現役生活を終えたものの、文武両道を絵にかいたようなアスリートの1人だ。
1学年上で、正キャッチャーとしてボールを受け続けた喜入。実は「東大の場合、受験を考えている野球の上手い子の情報が入ってくるんですけど、ストレートが140キロを越えるメチャクチャいいエースが志望している」と大学1年生の段階でウワサは聞いたそうだ。そのため「そんなスピードは受けたことがないので」キャッチング練習に励んだ。それでも宮台と初対面した第一印象から刺激的だったという。
「東大で野球をやりたい子って、多くは『文科三類』に入るんです。でも彼は『文科一類』の法学部、一番難しいところで入った。そして実際に喋ると、本当に大人だったし、彼自身も〈こんな意識では勝てない〉という表情をしていたんです。だから自分も〈もう1つ、2つ先にいかないと〉と試されているような感覚がありました。そして、宮台に絶対的な信頼を置いてもらわないといけない、と火がつきましたね」
「宮台がサインに首を振ったこと、1回もなかったんです」
寮生活で2人は同部屋だった。宮台はそこでも時間があれば勉強、トレーニングしていた。それを見て喜入も生活習慣をさらに律するなど、相乗効果が生まれていた。そして2人の生活はバッテリーとしての信頼関係を構築するには、大事な日々だった。
部屋にテレビがあるんですけど、映像で他大学のピッチャーやバッターを見たり、相手の仮想ラインアップをシミュレーションしてスコアシートを作っていましたね。〈宮台、この配球どう?〉〈この打者は最悪フォアボールでもOKです〉〈でも次の打順がこの打者だから、その前の打者を消さないとね〉といった感じでやっていましたね」
当時の東京六大学野球には今やNPB屈指のヒットメーカー佐野恵太や糸原健斗(ともに明大)、重信慎之介(早大)、田中和基(立大)とプロで活躍する選手が数多くいた。そんな彼らを抑えていくカタルシスが、想定を進める2人の中に共通したのだろう。それを神宮の舞台で実行したのだから恐れ入る。