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まさかの出遅れ、シード権ギリギリ…箱根10位・東洋大はなぜ苦しんだ? 主将の反省と、監督の“安堵”の中身「最低でもシード校でいなければ」
posted2023/01/17 17:00
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
JIJI PRESS
薄氷を履む思いで掴んだシード権だった。
「苦しい2日間でした。12月に入ってから、コロナやインフルエンザに加えて、疲労骨折する選手も出た。今まで指揮を執ったなかで、コンディションの面で一番苦労しました」
東洋大の酒井俊幸監督の言葉には、今回の箱根駅伝がいかに厳しい戦いだったかがにじみ出ていた。
今回はケガからの復帰途上にあったエースの松山和希(3年)が16人のエントリーメンバーから外れ、もともと苦戦は覚悟していた。その上、6区経験者の九嶋恵舜(3年)や、10月に10000mでチーム最速タイム(28分36秒36)を叩き出した熊崎貴哉(3年)も、万全ではなく起用することができなかった。
さらには、満を持して箱根デビューを果たした石田洸介(2年)も、12月20日過ぎに体調を崩し練習を休んだ期間があったという。
「数日間様子を見て、その後のポイント練習もできましたし、彼も2区に意欲的だったので起用しました。2年生なので、100回大会に向けて、彼の成長を考えた時には大きな経験になると思いましたから」
石田はまさかの区間19位…ピンチを救った主将
酒井監督は、今後を見込んで石田に2区を任せたが、石田は区間19位と力を発揮できなかった。チームも2区を終えた時点で19位と大きく出遅れた。
このピンチを救ったのが、主将の前田義弘(4年)だった。
「松山が走れない状況だったので、2区も行けるように準備をしていましたし、どの区間に回ってもいいように覚悟を決めていました」
これまでも主要区間を担ってきた前田が、最後の箱根で任されたのは5区・山上り。前田が5区起用を告げられたのは12月に入ってからだったが、酒井監督は候補の1人として「全日本大学駅伝が終わったぐらいから考えていた」という。
柏原竜二から贈られていた“あるメッセージ
もともと前田が東洋大を志したのは、“2代目山の神”こと柏原竜二さんに憧れていたから。その柏原さんからは、酒井監督の妻・瑞穂コーチを通して『最後までポジティブに上った奴にミラクルが起こる』というメッセージをもらっていた。また、前回まで3年連続で5区を務めた先輩の宮下隼人(現・コニカミノルタ)には技術面のアドバイスを受けたという。