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「誰も挨拶にこない」ボヤく野村克也に江本孟紀が直言「そりゃ来まへんで、あんた嫌われてるのに」非難・称賛を越えた“本当のノムラ論” 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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posted2023/01/17 11:02

「誰も挨拶にこない」ボヤく野村克也に江本孟紀が直言「そりゃ来まへんで、あんた嫌われてるのに」非難・称賛を越えた“本当のノムラ論”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

交友歴48年に及ぶエモやんが“ノムさんへの複雑な感情”をありのまま解き放つ

「試合前、いつも長いミーティングで相手を研究してました。監督だけど、上から目線じゃなくて『どう思う?』と聞いてくれた。そこは素晴らしかったですよ。僕らは南海で一緒に(理論を)作り上げていった感覚があります」

 野村に「俺が受ければ10勝以上できる」と背番号16を渡された江本は、いきなり16勝を挙げる。その後も勝ち星を積み重ねてエースに君臨し、1973年には胴上げ投手になった。

「南海の選手兼任監督時代は、あの人の栄光なんですよ。日本シリーズでV9最後の年の巨人と対戦できたしね。あの人は巨人と川上(哲治)さんに憧れてたんですから。それなのに、長年(本拠地である)大阪球場の跡地にある『南海ホークスメモリアルギャラリー』に展示品がなかったですからね。(野村夫妻の)意思もあったとはいえ、不自然だった」

“王貞治キラー”の裏に「野村の言葉」

 1976年、阪神移籍1年目の江本は、前年の江夏を3勝上回る15勝でチームの勝ち頭になった。この年ベーブ・ルースの本塁打記録を抜いた王貞治に滅法強く、13打数1安打に抑えた。江本は王に対し、通算でも67打数9安打の打率1割3分4厘、3本塁打と封じた。60打数以上対戦した投手の中で最も抑えている。

「ノムさんの言葉が役に立ったんですよ。データ見たら、王さんはどのコースも打っていた。(南海時代に)野村が『欠点がないと思ったら、長所を見つけろ。その傍に欠点がある』とよく言ってたなと。王さんの長所といえば一本足打法。ピッチャーのモーションに合わせて、足を上げる。そのタイミングを外そうとした。投げるフリをしてちょっと止めたり、横から放ってみたりとかね。抑えれば何でもいいんですから。もう1つ、困ったらド真ん中に投げてました。強打者共通の弱点なんですよ」

 野村は1977年に沙知代氏のチームへの介入を理由に南海を追われたが、「生涯一捕手」を貫いてロッテ、西武と渡り歩いて45歳の1980年に引退した。阪神移籍後に連続2ケタ勝利を8年まで伸ばした江本は1981年8月に「ベンチがあほやから野球がでけへん」と首脳陣を批判。その責任を取ってスパッと現役を引退した。

【次ページ】 「あの人は転んでもタダでは起きない」

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