沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
田原成貴に聞く“武豊が超一流な理由”と理想のジョッキー像「結局、福永洋一さんに行き着くんです」「祐一くんの引退は寂しいね…」
posted2022/12/24 17:03
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Keiji Ishikawa
「騎乗論に関しては、今は俯瞰して見ているから、現役時代は言葉にできなかったことを表現できるようになったり、乗らなくなって逆に気がつくことがあったりもしますよ」
そう話す田原成貴氏が騎手としてデビューしたのは、1978年3月のことだった。所属したのは栗東の谷八郎厩舎。初騎乗・初勝利で華々しいスタートを切った。
2年目の1979年に63勝を挙げて関西リーディングに。リードホーユーで八大競走初制覇を果たした1983年には104勝をマークし、初の全国リーディングを獲得。翌1984年もリーディングとなった。
20代半ばの若さで2年連続全国リーディングになった騎手が「天才」武豊騎手の前にもいたのだという意味で、のちに「元祖天才」と呼ばれるようになった。
39歳だった1998年2月末に鞭を置くまで8649戦して1112勝、うちGI級勝利は15勝。そのなかには、1年ぶりの実戦で奇跡的な勝利をおさめたトウカイテイオーの有馬記念や、12分の写真判定のすえ1cmの鼻差で勝利をもぎ取ったフラワーパークのスプリンターズステークスなど、いくつもの印象的な名レースがある。
騎手の数が今の倍ほどだったうえに、厩舎と騎手との結びつきが強く、東西交流もさほど盛んではなかった。それゆえ勝ち鞍が一部の騎手に偏りづらかったのだが、そんな時代にこれだけ勝つのは驚異的だった。
田原成貴が「理想の騎乗法」と語る伝説の名手
前置きが長くなったが、そんな田原氏に騎乗論について水を向けると「ちょっと待ってください」とスマートフォンを取り出し、YouTubeの動画を見せてくれた。福永洋一氏が乗るエリモジョージが逃げ切った、1976年の天皇賞・春の動画である。田原氏や武豊騎手の前に「天才」と称され、福永祐一騎手の父としても知られる伝説の名ジョッキーだ。