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田原成貴「トウカイテイオーが一番強かった」「マヤノトップガンは振れ幅が…」有馬記念3勝の元祖天才が語る“難コースの攻略法”とは
posted2022/12/24 17:02
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Tomohiko Hayashi
田原成貴氏は、騎手時代、1983年にリードホーユー、1993年にトウカイテイオー、そして1995年にマヤノトップガンで有馬記念を制している。
リードホーユーは当時3歳。前走の菊花賞では兄弟子の田島良保騎手(当時)が乗ってミスターシービーの4着。田原氏にとって、この有馬記念はテン乗りだった。8枠15番という外枠からじわっと前に行って2番手で折り合い、勝負所で早めに先頭に立って押し切った。
「春まで乗っていた河内(洋)さんが乗る予定だったんだけど、落馬で負傷したので、代打で乗ることになったんです。切れる脚はなかったけど、迫力のある走りをする馬で、冬の中山芝2500mというタフな舞台でこそ持ち味の生きるタイプだった。早めに先頭に立ったので横綱相撲に見えたかもしれないけど、あの馬の粘っこい脚を生かす競馬をしたらああなった、ということなんです」
「おれの乗った馬で、トウカイテイオーが一番強かった」
トウカイテイオーは、初騎乗だった前年(1992年)の有馬記念で1番人気に支持されながら11着に大敗して以来、1年ぶりの実戦だった。
「おれの乗った馬のなかで、トウカイテイオーが一番強かったことは間違いないですね」
そう話す田原氏に「ディープインパクトとどっちが強かったと思いますか」と問うと、こう答えた。
「ビワハヤヒデやライスシャワーといった強敵相手に有馬記念を勝ったように、恐ろしく強かったことは事実だけど、あのときのテイオーは何回かの故障を経て、傷んでいたんです。骨折する前のダービーのころなら、ディープと戦わせてみたかったと思いますね。自分自身も何度も大きな怪我をして、年を取るとわかるんですよ。馬も同じで、走り出してしまうと問題ないんだけど、動き出すときとか、止まるときとかに、ちょっと『あれ?』と思うことがある。1勝クラスや2勝クラスならともかく、GIでは、その『ちょっと』が大きく響く。故障してしまうのもその馬の器だと言われると何も返せないけど、ダービーのころのままどんどん成長していったら、どれだけすごい馬になったかな。(武)豊君でも『ディープのほうが強い』と即答できなかったと思いますよ」