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「表に立つのは申し訳ない…」“競馬界から消えた天才”田原成貴が評論家として再起するまで「暗い部分があるからこそ、楽しく伝えたい」

posted2022/12/24 17:01

 
「表に立つのは申し訳ない…」“競馬界から消えた天才”田原成貴が評論家として再起するまで「暗い部分があるからこそ、楽しく伝えたい」<Number Web> photograph by Naohiro Kurashina

『Number』1061号で19年ぶりに小誌に登場した田原成貴氏。有馬記念を前に、あらためてロングインタビューを敢行した

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Naohiro Kurashina

かつて過ちを犯して競馬界を離れた天才騎手は、長い空白期間を経て、なぜふたたび「競馬について語る」ことを選んだのか。解説者として慧眼を発揮している田原成貴氏が、有馬記念を前にロングインタビューに答えた。(全3回の1回目/#2#3へ)

 数々の名馬の背で大舞台を制し、「元祖天才」と呼ばれながら競馬界を去った田原成貴元騎手が、一昨年の12月中旬、競馬メディアに華々しく復帰した。

 媒体は東京スポーツ。1面トップのインタビューで、その取材を受けた理由、覚醒剤取締法違反で逮捕されるまでの経緯、家族や田原厩舎のスタッフへの思いなどのほか、自身が騎乗し「伝説」となったいくつかのレースについて語った。

 あれから2年。田原氏は今、GI前日の東スポの紙面でたびたび1面を飾っている。さらにYouTubeの「東スポレースチャンネル」の展開予想は、視聴回数が30万回を超えることもあるほどの人気ぶりだ。

以前の競馬仕事は「吹っ切れないうちにやっていた」

 10月に世に出た『Number』本誌の競馬特集で、筆者は「取材」という形では19年ぶりに話を聞いた。カリスマ性と頭の切れは騎手時代そのままで、より優しく、そして話が面白くなっていた。

 競馬に対する向き合い方も変わっており、競馬界を去ってからの雌伏の時間に、新たな視点や考え方を得ていたことがうかがわれた。表舞台を離れていた田原氏は、どのように競馬を見てきたのだろうか。有馬記念を前に、あらためて話を聞いた。

「競馬界を離れてすぐ、親しくしていた評論家から言われて、『競馬最強の法則』などでちょっと仕事をしました。こういう言い方をすると申し訳ないのですが、何かしなくてはならないからと、あまり乗り気ではないままやっていました。ああいう月刊誌だと、現実とのタイムラグがあるし、自分としては歯切れが悪かったと思います。自分のなかで吹っ切れないうちにやっていた、という感じでしたね」

 当時は雑誌のほか、自著『いかれポンチ』(2002年)、『騎手の心理 勝負の一瞬』(2005年)、『八百長』(2008年)を上梓し、ムック『GOOD-BYEディープインパクト』(2006年)に寄稿するなどしていた。

【次ページ】 「おれが表に立つのは競馬界に申し訳ない」

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