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ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
「メッシがトロフィーを掲げるのは、私にとっても喜びだった」フランス人のトルシエもW杯決勝を絶賛「だがバロンドールはエムバペだ」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/12/22 17:00
「忘れられない1日になった」と、ドーハで観戦したトルシエは決勝戦と大会を高く評価した
昨日の試合を見る限り、ふたつのチームに共通点が数多く見られた。さまざまな要素が拮抗し、どこにも差はなかった。違いはPK戦で作り出された。残念ながらデシャンはPKの練習には熱心ではなく、あまり真剣におこなってはいない。PK戦は運不運の問題だと常に彼は語っている。ジルーとグリーズマンをPK戦で欠いたのは、恐らくフランスのハンディキャップになっただろう。PKやFKで彼らは力を発揮する。PK戦を勝ち抜く要因をフランスは揃えてはいなかった。決めきれる選手の数も足りなかった。そこに両者の違いがあった。
たしかにデシャンのコーチングは素晴らしかったが、最後の瞬間にPKの重圧を引き受ける選手がフランスには足りなかった。練習もしていなかった。そこに欠落があり、違いとなるディテールを作りだした。
——ディテールは本当に小さな部分で、PKを成功させるかどうかでした。
トルシエ 小さいが影響はもの凄く大きかった。その結果、片方は涙を飲み片方は歓喜に浸ったのだから。フランスは優勝に値したと私は思っているが、アルゼンチンもまた優勝に値した。
アルゼンチンは二重の意味で値した。というのもこの大会のシンボルはメッシであり、メッシにとって選手のキャリアを通して唯一欠けているのがW杯のトロフィーだったからだ。メッシがトロフィーを掲げる姿を見るのは、私にとっても喜びだった。
アルゼンチン代表は本物のサッカー文化を体現し、サポーターも心からチームをサポートした。スタジアムの大多数はアルゼンチンに声援を送っていた。メッシとアルゼンチンの成功は、カタールW杯の成功そのものでもあった。カタールの人々も、メッシがトロフィーを掲げる姿を夢見ていただろう。それだけでもアルゼンチンが優勝した価値はあった。大会そのものを象徴したメッシが最後に歓喜を迎えたのだから。
バロンドールの行方は?
——バロンドールをめぐる争いでも、メッシはエムバペに対して大きなアドバンテージを得たと……。
トルシエ そうは思わない。メッシは規格外の選手だ。彼は自らの力でバロンドールを何度も獲得し、ついにW杯優勝も成し遂げた。だが、W杯に優勝したからバロンドールを獲得できるのではない。もちろんメッシにその資格はあるが、W杯優勝がバロンドールを付与するのではない。
バロンドールに関しては、個人の偉業という点でエムバペの方がメッシよりも受賞に値すると私は思う。エムバペが個の爆発であったのに対し、メッシはチームのエンジンだった。彼ひとりだけで偉業を成し遂げることはできなかった。コレクティブな力のサポートが必要だったし、パートナーなしには不可能だった。対してエムバペは彼ひとりだけだった。大方の予想を裏切りひとりで多くを成し遂げた。
メッシはバロンドールに値するが、バロンドールはW杯の下位に位置づけられる。メッシはW杯とともに輝いた。まずそこを頭に入れたうえで、エムバペはW杯史上2人目の決勝でのハットトリックを達成したうえ、PKも2本決めてフランスを敗戦から救った。結果としてフランスは負けなかった(PK戦は引き分け扱い)。そうしたことを考慮すれば、エムバペの方がバロンドールに相応しいと私は思う。
<#2へ続く>