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「甲子園でエース、猛勉強で東大合格」のスゴい人生…どんな勉強法だった? 100年間で24人だけの“天才”が明かす「センター数学はまさかの17点」 

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/11/19 11:01

「甲子園でエース、猛勉強で東大合格」のスゴい人生…どんな勉強法だった? 100年間で24人だけの“天才”が明かす「センター数学はまさかの17点」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2002年のセンバツ甲子園で登板する松江北高の楠井一騰。こののち東大合格を果たすが、どんな勉強法だったのだろうか?

「当時、父が肺癌で余命半年だと言われ、なにか最後に親孝行したいと思いました。父は散髪屋をしていて、土日が休みではなかったので、僕の入学式、卒業式、野球の試合も来てくれたことがなかった。幼い頃に『なんで来てくれないんだ』と聞いたら、『お前が東大に受かったら入学式でも卒業式でも行ってやる』と言われたことを当時思い出したんです。その約束も含め、東大に行けば父も安心するだろうと考えました」

「センター試験の数ⅡBで17点しか取れなかった」

 しかし、授業の内容がまるでわからない中村の東大受験は、無謀とも言えるものだった。学校の先生からも「無理だからやめとけ」と言われ、友達からも馬鹿にされながら受験期間を過ごしたという。

「1年生の教科書を引っ張り出してきて、すべて基本から勉強しないといけません。しかし、高校3年分を夏から受験までの半年で終えるのは当然不可能でした。現役時代に受けたセンター試験の数ⅡBで17点しか取れなかったのは、忘れもしません(笑)。ベクトルの矢印の意味すらわからず、時間があり余ってしまいましたから。そうして、東大はおろかどこの大学にも受からないレベルで現役生活は終わりました」

 筆者もセンター試験の数学が25点だった苦い経験があるので、中村の気持ちは痛いほどわかる。数学が絶望的なら、文系科目で受験が可能な私立大学を目指したくなるが、中村は「一度決めたらやる性格」と自ら話すように、ここで東大へのモチベーションはまったく揺るがなかった。

二浪目で「1日15時間の猛勉強」

「何年かかっても東大に入ると決めていました。一浪目は、高校の補習科に通いましたが、場違いでした。補習科は東大や京大に、ぎりぎり受からなかった人たち向けなので、授業は最初から応用問題がメイン。3年間の基礎知識がない僕にとっては、ちんぷんかんぷんでした。そのため、授業は聞かず、後ろの席で教科書の内容を反復し、学校が終われば数学と英語の塾に通う日々。そして、一浪目でようやく高校3年間の範囲が終わって、センター試験は東大の足切りにあわないくらいまでは点数を取ることができました。ただ、東大の赤本をやる余裕がなかったので、二次試験は半分も解けませんでした。まぐれ合格という希望すら湧かず、案の定不合格。二浪目に突入です」

 ここで中村は一念発起し、東京・お茶の水の駿台予備校に入学。二浪目は千葉の本八幡にある寮と予備校を往復するだけの日々を過ごした。「余命宣告されている父が明日死ぬかもしれない状況で、親元を離れているんだから勉強するしかない」と自らに言い聞かせ、1日15時間の猛勉強に励んだという。

「駿台の東大受験コースはABCDの4クラスがありましたが、僕は成績が悪かったので最初は一番下のDクラス。C、Dクラスだと東大合格はほぼ不可能だと言われていました。その後、半年に1度行われるクラス替えで、Bクラスに昇格し、ここでC判定が出ました。そして、センター試験前の最後の東大模試でやっとA判定がでたんです。最終的には最低合格点を10点ほど超えてなんとか合格できました」

 三浪目も覚悟していたという中村だが、晴れて東大に入学し、野球部に入部。入学式には約束通り父も来てくれ、中村は新たな生活に燃えていた。

 楠井と中村は両極端な部分はあるが、どちらも天才型ではなく、努力型と言える。東大合格と甲子園出場は決して天才だけができるものではないことがわかるだろう。続編では、2人の甲子園経験者が東大野球部時代をいかに過ごし、どのような社会人になっているのかを追っていく。

<#1から続く/続編も近日公開予定です>

#3に続く
「野球よりゴルフや麻雀が好きですから(笑)」“甲子園でエース、猛勉強で東大合格”のスゴい人生…100年間で24人だけの天才が明かす“引退まで”

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