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「野球よりゴルフや麻雀が好きですから(笑)」“甲子園でエース、猛勉強で東大合格”のスゴい人生…100年間で24人だけの天才が明かす“引退まで”
posted2022/11/27 17:01
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph by
KYODO
「お、有名人!」
内部進学やスポーツ推薦制度がない東大野球部。チーム力強化の鍵は甲子園経験者の入部だ。本人の能力はもちろんのこと、強豪校の雰囲気や勝負強さを知っている選手が入ることで、チーム全体の底上げになるからである。
しかし、高校時代に甲子園出場(試合出場もしくはベンチ入り)を果たし、なおかつ東大野球部に入部した者は創部100年余りで24人しかいない。本稿では、そんな“偉業”を達成した2人の東大野球部OBが、どのような大学生活を送っていたのかを紹介していきたい。
高校野球の監督を務めていた父親の影響で、幼い頃から東大野球部を目指し、一浪の末に合格した楠井一騰(松江北・2008年卒部)。楠井は自分は人一倍東大への思いが強いという自負とともに、野球部へ入部する。
「私のように野球をやりたくて東大に入る人なんて、少数派だろうなと思って入部したら、みんなが野球目的で東大を受験していたので驚きました。私が甲子園経験者ということが雑誌などで取り沙汰されたのですが、先輩方は『お、有名人!』などとイジってくれて、嬉しかったですね」
甲子園を経験しているとはいえ、「自分に野球のセンスはない」と話す楠井は、東大野球部でも実力の差を感じたという。
「同級生の中でも、センスが抜群にあるやつがいましたね。卒業後に明治安田生命の野球部で活躍した重信拓哉(鶴丸)やキャッチャーで主将を務めた山田聡(札幌南)などを見て、世の中にはなんでもできるやつがいるもんだなぁと思いました」
あの早稲田大・斎藤佑樹と投げ合った
そのような切磋琢磨しあえる環境で東大野球部生活が始まる。楠井が小学生ぶりに神宮球場のマウンドに立ったのは、1年生の春の新人戦。長年夢見ていたその日、楠井はかつて父が作ったグローブをつけ、父の思いを背負いながらマウンドを踏んだ。
「正直、そのときのことはあまり覚えていないんです。ただ、ゆっくり深呼吸したのは覚えています。やっと立てたなと感じました。その試合も甲子園と同様にバックネット裏には父がいましたね」