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「毎試合全員抜くつもりでした」三笘薫は筑波大時代から“規格外”だった…スカウトを苦笑させた川崎F入団前の“ある言葉”とは?
posted2022/11/19 11:28
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
Kiichi Matsumoto
カタールW杯の日本代表には、大学サッカーを経由してプロ入りを果たした選手が数多く選出された。学生時代の彼らはどんな輝きを放ち、いかに成長を遂げていったのか。守田英正、三笘薫、谷口彰悟の獲得に携わった川崎フロンターレの向島建スカウトに話を聞いた。(全3回の2回目/#1守田英正編、#3谷口彰悟編へ)
有名なエピソードだが、三笘薫(ブライトン)は川崎フロンターレユースからトップチームへの昇格を断っている。高校3年生の8月に行った面談は、スカウトである向島建の記憶にもいまだ鮮明だ。
「庄子さん(庄子春男/当時GM)、今野監督(今野章/当時U-18監督)、薫と、お父さんも交えて面談をしたときですね。『トップでやる自信がないです』と言われました。驚きではありましたが、それを言われてしまうと、無理にトップに上げることはできないですよね。高校年代でもすでにトップレベルでしたから、プロでやれないことはなかったと思います」
高卒時に交わした約束「4年後に戻ってくる」
当時、川崎に入団して活躍している選手の多くは大卒で、高卒で試合に絡んでいたのは大島僚太と登里享平くらいだった。1学年上で「アカデミーの最高傑作」と言われた三好康児や、三好と同期の板倉滉が出場機会を十分に得られていない状況を目の当たりにした三笘が、「トップでは試合に絡めない」という気持ちを抱いたとしても不思議ではない。最終的に、クラブは三笘本人の意思を尊重することにした。
「筑波大学から話があるというのは聞いていました。線が細かったので、体の仕組みを学んだり、トレーニングを含めて成長できるのではないかと思いましたし、筑波なら大丈夫かなというのもありましたね。小井土正亮監督からも『成長させて戻したい』という話がありました。口約束ではありましたが、お父さんと薫とは『4年後に戻ってくる』という約束も交わしています」
プロではすぐに通用しないと考えて、大学サッカーを選択するという決断自体は珍しいことではない。ただ三笘の長所は、その自己分析力にあった。「こういうタイプはあまりいないと思います」と向島は語る。
「普通は、試合に出ながら目の前の課題を一つずつクリアしていく選手がほとんどです。しかし薫の場合は『大学の4年間で何をすべきか』というシナリオをあらかじめ準備しているような雰囲気がありました。もちろん、筑波大学の小井土監督が厳しく育ててくれたことが大きいですが、彼自身のビジョンが明確だったのも成長の要因だと思います」