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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「有能か以前に人間として…」「軍事政権と取引、スポンサーからの“賄賂”で私服を肥やす」ブラジルサッカー“元祖・極悪会長”のやり口
posted2022/08/24 11:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Buda Mendes/Getty Images
日本代表が敗れたりふがいない試合をすると、森保一監督とセットで日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長が批判を浴びることが増えている。
JFAには代表チームの強化を担当する技術委員会があるが、委員を選ぶのは会長であり、監督の選任についても大きな権限を持つ。それゆえ、成績が振るわなければ会長が任命責任を問われ、批判を受けるのは仕方がないだろう。
これは、日本に限らず世界各国の協会でもほぼ同様だ。「会長は批判されてナンボ」、あるいは「批判を耐え忍ぶのも会長の重要な職務の一つ」と言っていいだろう。
日本代表は、これまでワールドカップ(W杯)に6回出場して最高の成績がベスト16(2002年、10年、18年の3度)。「ベスト8以上」が当面の目標となっている。
これに対し、ブラジル代表は過去21回のW杯すべてに出場し、世界最多の5回の優勝を遂げている。ベスト8未満の成績に終わったのは1934年と66年、90年の3度だけで、1970年以降は常に優勝候補に挙げられる。のみならず、高度なテクニックと豊かな創造性を発揮し、世界中のファンから「セレソン」の愛称で呼ばれる。となれば、「ブラジルサッカー連盟の歴代会長は素晴らしく有能な人物なのではないか」と考える人がいても不思議ではない。
「有能かどうか以前に人間としてどうなのか」
しかし、1980年代後半からこの国に住み、これまで8人の会長の仕事ぶりを眺めてきた筆者の率直な感想は、「有能かどうかを問う以前に、人間として社会人としてどうなのか、と思う人物があまりにも多い」。「いくら何でもこれはひどい」と憤慨する一方で、「こんな人間が組織のトップにいながら、セレソンはなぜ世界のトップレベルに居続けることができるのか」と首を傾げ、「もし会長がまともなら、本来はどれだけ強いのだろう」と気が遠くなる思いがする。
ブラジルサッカー連盟(CBF)は、1914年にブラジルスポーツ協会(FBS)として創設され、2年後にブラジルスポーツ連盟(CBD)へと統合された。
セレソンは1930年の第1回W杯に参加し、1勝1敗でグループステージで敗退。当時は南米でもアルゼンチン、ウルグアイに歯が立たない中堅国に過ぎなかった。しかし、1938年大会で3位に食い込むと、1950年の自国開催の大会で惜しくも優勝を逃したものの準優勝。世界の強豪国の仲間入りを果たした。
アベランジェの父親がベルギー出身の武器商人
このような状況で、ブラジルのフットボールを良くも悪くも劇的に変えた男がいる。ジョアン・アベランジェである。