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「リベート総額56億円報道」「TV局報道部長の拷問死疑惑」「悪いヤツほどW杯で…」ブラジルサッカー会長の闇が深すぎ

posted2022/08/24 11:01

 
「リベート総額56億円報道」「TV局報道部長の拷問死疑惑」「悪いヤツほどW杯で…」ブラジルサッカー会長の闇が深すぎ<Number Web> photograph by Sports Graphic Number/JMPA

2002年W杯で優勝したブラジル代表。しかしその連盟会長は疑惑ばかりがつきまとう

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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東京五輪スポンサー契約を巡る事件を筆頭に、スポーツの要職と汚職は常々問題化するところだが、フットボール王国ブラジルのサッカー連盟会長の“悪行”を振り返ってみる(全2回の2回目/#1も)

 “妖怪”ジョアン・アベランジェの跡を継いだ第15代のブラジルスポーツ連盟(CBD)会長は、軍人出身のエレーノ・デ・バーロス・ヌネスだった。

 1978年のワールドカップ(W杯)でブラジル代表はセカンド・ステージで地元アルゼンチンと勝ち点3で並び、最終戦も勝って勝ち点を5としたが、もう一方の最終戦で、ペルーが八百長と疑われても仕方がないような無気力な試合内容でアルゼンチンに0-6と大敗。得失点差でアルゼンチンに劣って決勝進出を逃し、3位に終わった。

 1979年、FIFAが加盟各国にフットボールだけを管轄する組織の設立を求めたことから、ブラジルサッカー連盟(CBF)が創設された。1982年と1986年のW杯で、名将テレ・サンタナ率いるセレソンは攻撃的なスタイルを貫いて世界中のファンを魅了したものの、ともにベスト4を前にして不覚を取った。

 1989年に会長選挙が行なわれ、アベランジェの後ろ盾を得て、娘婿のリカルド・テイシェイラが勝利を収めた。

 彼は、スポーツとは無縁だった。銀行員で、金融に関する知識が豊富。アベランジェの娘と結婚し、義理の父に勧められてスポーツ政治の世界に入った。

 1989年初めにCBF会長に就任すると、コパ・ド・ブラジルを創設。地方の中堅クラブにも全国レベルのタイトルを手にする可能性を開き、地方の州サッカー協会からの支持を広げた。

 1990年W杯で、セレソンはベスト16でマラドーナ擁するアルゼンチンの前に痛恨の敗退。テイシェイラは、攻守のバランスを重視するカルロス・アウベルト・パレイラを監督に据えて強化を図る。

 国内メディアと国民から「守備的」という批判もあったが、94年W杯では闘将ドゥンガがチームをまとめ、ロマーリオとベベットの活躍もあって24年ぶり4度目の優勝を遂げた。

W杯優勝によって権力が強大化して汚職も“達人化”

 この快挙によって、テイシェイラの権力は強大になった。

 94年W杯優勝後、ザガロを監督に招聘して1998年大会で準優勝。その後、2002年W杯南米予選で苦戦すると2001年6月にルイス・フェリペ・スコラーリを監督に招き、2002年大会で通算5度目の優勝。さらに1989年から2012年までの23年間に渡る在任期間中、6度のW杯で2度の優勝と1度の準優勝を成し遂げた。

 “W杯優勝率”は33%。もし1998年大会で若きエース、ロナウドの突然のアクシデント(決勝の試合当日、プレッシャーのためか突然体調を崩した)がなく優勝していたら、50%だった。アベランジェの60%には及ばないが、これまた驚異的だ。 さらに、U-20W杯とU-17W杯をそれぞれ3度制覇している。

 その一方で、汚職に関しても際立った手腕を発揮した。

【次ページ】 世界各国に幽霊会社を作ってマネーロンダリング

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