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「チームの真のリーダーは私」トルシエが語る02年日韓W杯の真実と22年日本代表の成熟「私の意図は理解されなかった」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byGatty Images
posted2022/08/03 11:02
トルシエが率いた2002年の日本代表を中心選手として牽引した中田英寿。チームをベスト16に導いた
――それではトルコ戦(W杯ラウンド16。2002年6月18日、宮城スタジアム。0対1で日本の敗北)のことをうかがいます。今日の選手たちの経験と成熟があれば、20年前もトルコを破ることができたでしょうか?
「20年前も、グループリーグでロシアを破ったようにトルコに勝つことは可能だった。今日の選手たちの成熟、とりわけ個のレベルにおける成熟があれば、トルコをより容易に破ることができただろう。君が覚えているかどうかわからないが、トルコ戦は2006年に向けての最初の試合だった」
2002年はチームの真のリーダーは私だった
――それは聞きました。
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「選手には彼らがそれぞれ責任を持つことを望んだし、2006年W杯に向けての最初の試合だと伝えた。チームのリーダーでありパトロンでもあった私にとっては、W杯のセカンドラウンドに到達するという目的は達成した。もし私が今、このトルコ戦をやり直すとしたら、私は今の代表チームとともに戦いたい。というのも彼らならば責任を引き受けられるからだ。今のチームこそトルコと戦うに相応しい。選手たちは成熟し、2002年の選手たちが引き受けられなかった責任を、彼らは背負うことができるからだ。
2002年の選手はまだ若く未熟だった。だから彼らとともにトルコ戦をもう一度戦うのであれば、同じ言葉はかけない。あのときの言葉はバトンタッチの意味があった。『ここからは君たち自身が責任を引き受けるときだ』と彼らにバトンを委ねた。ユニフォームはますます重くなるし、自らの力を証明する必要にも迫られる。
2002年はチームの真のリーダーは私だった。私がチームを構築したエンジニアでありすべてを調節したが、今のチームはすでに出来上がりより成熟し経験も積んでいる。リーダーも異なる。
もちろん私の時代にも中田英寿というリーダーがいたが、彼がリーダーだったのはヨーロッパでプレーしていたからだ。しかし中田は、パーソナリティの点ではリーダーよりもカリスマだった。実質的なリーダーは私だったが、それはメカニックなリーダーでもあった。私はメカニックとして車を作り上げた。そしてマシンの調整もおこなった」
――あなたが試合前に選手にかけた言葉は正しいものであったにせよ、彼らがそれを的確に受け止めるには、まだナイーブで未成熟だったということでしょうか?