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17歳のダルビッシュ有が「どうしても投げたい」 東北高の先輩が振り返る19年前の甲子園決勝「さすがにあいつも熱くなるのだろうか…」
posted2022/08/16 17:01
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Hideki Sugiyama
8月16日、36歳の誕生日を迎えたダルビッシュ有。19年前の夏、17歳の高校2年生は甲子園決勝で怪我を抱えてなお、時に笑みを浮かべて投げ抜き、敗れ去った。そして、涙とは無縁に思われていたはずの男が、誰よりも泣いていた――。
Number1008号(2020年7月30日発売)より「ダルビッシュ有が流した一度きりの涙」を特別に無料公開します(肩書はすべて当時) <全2回の前編/後編はこちら>
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2003年夏、決勝前夜のことだった。
東北高校の主将、片岡陽太郎はミーティングを終えた後、監督の若生正廣に呼ばれた。部屋を訪れると、こう告げられた。
「有がどうしても投げたいと言っている。明日の先発は有でいこうと思っている」
片岡はそれを聞いて、少し意外な思いがした。2年生のダルビッシュ有は紛れもなくチームのエースだったが、彼は準々決勝で登板した際、右足のすねを痙攣させ、「過労性骨膜炎」と診断されていた。準決勝もマウンドには上がらなかった。
何より彼には痛みを押して投げるというイメージがそぐわなかった。
ダルビッシュではなく、有と呼んでやってくれ
ダルビッシュが東北高校に入学してきたのは前年の春だった。
若生は彼が来る前、寮の玄関に全員を集めた。大阪の羽曳野から140kmを投げる投手が入ってくること。日本とイランのハーフであること。そのことで大阪では辛い経験もしてきたことを説明した。
「名前にカタカナが入っているだけで、外国人だとか、差別のようなことは絶対に許さない。みんなと同じなんだ」と若生は言った。「少しでも早く馴染めるようにダルビッシュではなく、有と呼んでやってくれ」。
自分が納得しなければ走らない。投げない。
入学の日、イラン人の父と校門をくぐってきた彼は飛び抜けて背が高く、目鼻立ちも自分たちとは異なっていた。部内の空気も片岡の胸も妙にざわざわした。
ただ、いざグラウンドでともに白球を追うと異質なのは外見ではなく、内面だということがわかった。ダルビッシュは若生が命じた練習に対して「何のためにやるんですか?」と問うた。