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“同じ年に生まれた2人の天才”浅田真央とキムヨナ…フィギュア史に残るライバル物語「真央はいつも笑顔で、ヨナは真剣な表情だった」
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タチアナ・フレイドTatjana Flade
photograph byGetty Images
posted2022/03/23 20:00
![“同じ年に生まれた2人の天才”浅田真央とキムヨナ…フィギュア史に残るライバル物語「真央はいつも笑顔で、ヨナは真剣な表情だった」<Number Web> photograph by Getty Images](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/4/f/700/img_4fd02b3d72f83077cbe586ba53eae31d136238.jpg)
同じ年の9月生まれの浅田真央とキムヨナ。稀有な才能を持つ2人のライバル史とは
この時は真央が3アクセルを成功させて優勝。ヨナはミスがあって2位に終わったが、結果以上に2人の違いは驚くほど鮮明だった。
対象的だった2人「真央はいつも、ヨナは真剣な表情で…」
真央はいつも笑顔で人懐こく、オープンな印象の少女だった。一方、ヨナはあまり感情を表に出さず、シャイで内気な雰囲気。記者会見でも言葉少なだった。真央にとってスケートとは喜びそのものであり、ヨナにとってはまるで仕事であるような印象を受けた。
翌年3月、カナダでのジュニア世界選手権で、2人は再び顔を合わせる。ここでも真央は優勝し、SPで6位のヨナがフリーで挽回して総合2位。このときも、ヨナは真剣な顔を保ったまま笑顔を見せることはなかった。
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この日の記者会見のことは、昨日のことのようによく覚えている。真央はとてもリラックスしてその場にいるのを楽しんでいる一方、ヨナは通訳代わりをしてくれた韓国の連盟関係者に小声で話すだけだった。
このときのことを私はドイツの雑誌に、次のように書いた。
「ピンクのジャケットを羽織った日本のアイスプリンセスは、大勢の記者を従えて会見室に入ってきた。彼女は明らかに自分への注目を楽しんでいるようで、質問にも楽しそうに答えた。その一方、ヨナは『このメダル(韓国の選手として、初の国際スケート連盟の大会でのメダル)を手にしたことを誇りに思っていますが、将来さらに良い結果を得るためにもっと努力をしていきたいと思います』と、真央とは対照的に真剣な表情だった」
この頃には、周辺の人間たちには「いずれ必ずこの2人の時代が来る」ということが分かっていた。
皆、真央の3アクセルを話題にしていたが、基礎技術はヨナのほうがしっかりしており、この日本の選手にチャレンジできるのは彼女だけであろうということは、十分予想できた。
ジュニアで負けなしだった真央が“唯一ヨナに敗れた”大会
そしてついに、2人にとって最後のジュニア大会となった'06年スロベニア世界ジュニアで、ヨナは真央にジュニア国際大会での唯一の黒星を与えることになる。