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“同じ年に生まれた2人の天才”浅田真央とキムヨナ…フィギュア史に残るライバル物語「真央はいつも笑顔で、ヨナは真剣な表情だった」
text by
タチアナ・フレイドTatjana Flade
photograph byGetty Images
posted2022/03/23 20:00
同じ年の9月生まれの浅田真央とキムヨナ。稀有な才能を持つ2人のライバル史とは
同時に、この頃からヨナは少しずつ、心を開いてきていた。寒いリンク際でコーチの助けを借りながら彼女のインタビューをしたとき、まだ英語を口にしようとはしなかったけれど、質問は全て理解しているようで、時折笑顔を見せるようにもなっていた。
この大会のことを、私はこう記した。
「ヨナの勝利は多くの人にとって予想外だったようだ。真央以外にも才能のある15歳の少女がいることを人々は忘れがちだったものの、ヨナはこの年かなりの進歩を見せていた。彼女のジャンプは真央よりも質が高く、滑りも大人っぽくなってきている。3アクセルは跳ばないが、彼女には必要なかった。彼女の3フリップ+3トウループのコンビネーションは、不動の岩のように安定しているからだ。
真央はスロベニアでは決してベストな滑りではなかったが、競技会のSPで女子として初めて3アクセルを成功させた。この2人の戦いは、来年はシニアに舞台を移して続くだろう。どちらも抜きん出た才能があり、フィギュアスケートのレベルをより高いものにし続けている」
トリノ五輪が終わり荒川静香ら有名選手が引退やプロ転向を表明すると、いきおい人々の興味は若手のスターへと移行した。真央とヨナに注目が集まったのは当然の結果だろう。
どちらも、それぞれに良さがあった。真央はまだ子供っぽいところが残っていて感情表現が豊か。一方、ヨナはすべてにおいて論理的に物事に対応していた。
シニアに上がっても競い合った浅田真央とキムヨナ
まずは、真央の年だった。'07-'08シーズンのGPファイナルではヨナに敗れて2位だったものの、ヨナが不参加だった四大陸選手権で優勝し、スウェーデンのヨーテボリでは初の世界タイトルを手にした。
だが、ルールで不正エッジと回転不足が厳しく判定されるようになってから、真央の自信には揺らぎが見え始める。身長が伸びるにつれ、その欠点はさらに目立つようになっていった。逆にヨナのほうは、体の変化をそれほど苦労せずにやり過ごしていた。
そうして迎えた'08-'09シーズンは、その真央の自信喪失が結果に影響を与えたように見えた。ヨナの地元である韓国のGPファイナルで、女子として初めて3アクセルをフリーで2度成功させて優勝したが、それを除くと、世界選手権で表彰台を逃すなどこのシーズンは真央にとって厳しい1年だった。
逆に、GPファイナルでのヨナは地元の熱狂的な期待に圧倒されたように見えた。数年前まで無名だった少女は、韓国で、あっという間にスター扱いされるようになっていた。
それは真央も同じだったが、日本には他にも安藤美姫や高橋大輔のようなスターがいて、ファンやメディアの注目は彼女1人だけに向けられていたわけではなかった。
2人を取り巻く環境が、出会ったころとは変わっていた中で、真央は不振のままバンクーバー五輪のシーズンへと突入していく。3アクセルという特別なジャンプに対するこだわりは、時に彼女自身の障害にもなっていた。