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同級生・風間八宏いわく「正義の味方」、岡田武史や古橋亨梧も魅了した情熱とアイデア…頑固な名将・大木武《J3熊本逆転昇格》 

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渡辺功

渡辺功Isao Watanabe

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photograph byJ.LEAGUE

posted2021/12/14 17:02

同級生・風間八宏いわく「正義の味方」、岡田武史や古橋亨梧も魅了した情熱とアイデア…頑固な名将・大木武《J3熊本逆転昇格》<Number Web> photograph by J.LEAGUE

最終節で逆転優勝を果たし、ロアッソ熊本をJ2昇格に導いた大木武監督。試合後のセレモニーでは、涙を流しながら感謝の思いを述べた

 最初の転機は30歳のとき。東京農大時代のサッカー部監督で、大学の理事長でもあった内田計手氏に「自分のまったく知らないところで、会社と学校に全部話をつけられていて」(大木)選手生活を引退。会社に籍を置きながら、母校の指導にあたるようになる。ちなみに、このときの部員には、のちに川崎フロンターレで活躍する久野智昭や、コンサドーレ札幌創設時のメンバーである木島敦、浅沼達也らがいた。

 なかば強制的に始まったサッカーコーチ生活は手探りの毎日だったが、元来が人後に落ちないサッカー好き。もっと深くサッカーに携わりたいと、Jリーグ開幕の93年、会社を辞めて誕生したばかりの清水エスパルスに加入。下部組織からトップチームまで、あらゆる年代の指導に関わり、日々奔走する。

 清水時代、オズワルド・アルディレス、スティーブ・ペリマン、ふたりの監督と過ごした時間は「指導者としての自分の財産」だと振り返る。大木が常々口にする「サッカーはエンタテインメント」は、ペリマンの言葉や姿勢に感銘を受けたことがベースになっているという。

 90年代初頭、セリエAの地方クラブであるフォッジャを率い、次々番狂わせを起こしたズデネク・ゼーマンや、変人の異名を持つ現リーズ・ユナイテッド監督のマルセロ・ビエルサといった、特徴あるスタイルがお気に入り。ヴァンフォーレ甲府の監督時代には、攻守をすばやく切り替え、選手間の距離を縮めたショートパスと3人目の動きの連続で、ビッグクラブに対しても真っ向勝負。資金力のハンデを乗り越え、J1昇格と翌年の残留に成功して、大きなインパクトを残してみせた。

岡田武史も衝撃を受けた大木のアイデア

 ファン、サポーター以上の衝撃を覚えたのは、サッカー界の同業者だった。

 そのひとりである岡田武史は、J2降格の責任をとり、甲府を辞めたばかりの大木を「自分にはないアイデアを持っている。イエスマンではない意見を言えるから」と、南アフリカW杯を目指す日本代表のコーチに招聘する。そのオリジナリティあふれた発想は後年、指導体系「岡田メソッド」の確立へと反映されていくことになる。

 以前、大木のもとでプレーした、ある選手が「家に帰って、妻に『早く練習がしたくてたまらない』と話したことがある。プロに入って、そんな気持ちになったのは初めて」と言ったことがある。今シーズンでの引退を決め、岐阜戦の後、挨拶に立った熊本の岡本知剛も「監督と出会って、またサッカーを好きになる気持ちになった。来年も週に3、4日は、2部練するんでしょうね」と泣き笑いしていたように、毎日のトレーニングの負荷は高いが、飽きの来ないよう工夫が凝らされている。

 ウォーミングアップからボールを使い、フィジカルとテクニックと判断力を、同時に鍛えるような練習メニューは、現場で重ねた試行錯誤の末に、みずから構築していったものだ。

【次ページ】 「私はサッカー指導者ですので」

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