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2年で賞金が300万円上昇 「ウィンブルドンでシングルスは不可能」と言われた“車いすテニス”が急成長できたワケ
posted2021/09/18 17:03
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph by
Naoya Sanuki
死闘が繰り広げられる深夜の有明コロシアム。その観客席に、大谷桃子の姿があった。
東京パラリンピック、女子車いすテニス決勝戦。世界ランク1位のディーダ・デグロートと、2位の上地結衣の頂上対決は、上地が6度のマッチポイントをしのぐも、最後は攻撃力に勝るデグロートが押し切った。
絶体絶命の窮地でもあきらめず、微かなチャンスをつなぎ留めながら勝利への道を模索する上地の姿を、大谷は胸を熱くしながら見ていたという。そして翌日、大谷は上地とダブルスを組み、3位決定戦に勝利して銅メダルをつかみ取った。
「上地さんにサポートしてもらった」
そう笑みをこぼす大谷は、上地の背を追い、今や世界の5位につける成長株だ。
世界トップ20に「日本人選手は5選手」
ひとりのスター選手の存在が、後進を育て競技そのもののレベルや人気を引き上げるのは、スポーツ界でしばしば見られる現象だろう。現在、世界ランクトップ20に5選手を送り込む日本女子車いすテニスの隆盛は、上地の活躍に依るところが大きい。
前述した大谷は、佐賀県の大学で車いすテニスを始め、その地で出会った古賀雅博コーチに師事し、本格的にこの競技に打ち込み始めた。
ただコーチの古賀にしても、車いすの経験はない。ボールを打ち合うことはできても、車いすの動かし方を教えることはできなかった。その時に古賀が手本としたのが上地であり、助言を求めたのが、当時上地のコーチを務めていた千川理光だった。
大谷と古賀は、上地のチェアワークをつぶさに観察し、その戦略を分析しながら、自らのテニスを築き上げてきたという。そうして急成長した大谷は、昨年の夏、全米オープンでグランドスラムデビュー。続く全仏オープンでは決勝まで勝ち上がり、「師」との頂上決戦も実現した。この時は上地が威厳を見せて快勝したが、先のウィンブルドンでは、大谷が7度目の挑戦にして初勝利を手にしている。