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「なぜ女子バスケ日本代表の3Pシュートは“世界一”決まるのか?」193cmエース不在でも“初メダル”まで一気に躍進できた理由
posted2021/08/07 20:01
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
AFLO
生まれて初めてオリンピックで生観戦した競技は、1996年のアトランタ大会で、女子バスケットボールの日本対中国戦だった。
この試合は大接戦の末、日本が1994年の世界選手権2位の中国を破る「アップセット」、番狂わせを演じた。
このチームには、今回の東京大会の解説を務めている萩原美樹子氏(現・東京羽田ヴィッキーズ・ヘッドコーチ)らがいて8強に進み、準々決勝では大観衆の前で地元アメリカと戦ったのが忘れがたい。
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アトランタ大会は7位になったが、当時の代表監督を務めていた中川文一氏は、
「俺はアップセットを起こすバスケットはしたくないのよ。それだと勝ち切るチームになれないから」
と思いを語っていた。
その言葉はいまに続く課題であり、指導者が変わって、出場権を得たアテネ、リオデジャネイロ大会で、日本はユニークなスタイルでアピール力はあったが、いかんせん8強の壁を破れなかった。
そこには高さの壁が常にあった。
バスケットボールに限らず、バレーボール、ハンドボール、ラグビー、日本のあらゆる競技にまつわる永遠の課題だ。
しかし東京大会で、ついに女子バスケットボールがこの壁を貫通した。
一度だけアップセットを起こすチームではない。グループステージでフランスとナイジェリア、ノックアウトステージに入ってベルギー、そしていま一度フランスを破ったのだから。
しかも、大黒柱だった身長193センチの渡嘉敷来夢を欠いたままで。
“世界一”の3Pシュート
原動力となったのは、容赦のない怒涛の3Pシュート攻撃である。
準決勝を終えた時点で、4強に残ったチームの3Pのアテンプト数(3PA)、成功数(3PM)を比較してみよう。