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エドウィン・ジャクソンと東京五輪。アメリカ代表投手にして14球団を渡り歩いたジャーニーマンの数奇な運命
posted2021/07/31 11:01
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Getty Images
東京オリンピックの野球がはじまった。いわずもがなのことだが、MLBはこの種目に選手を派遣していない。レギュラーシーズンの真っただなか、というのが最大の理由だが、要するにこれは、オリンピックを優先しないだけの話だろう。
それでもドミニカ共和国の代表には、ホゼ・バティスタ(MLBで本塁打王2回)やメルキー・カブレラ(オールスター1回)がいる。メキシコ代表には、エイドリアン・ゴンザレス(打点王1回)やオリバー・ペレス(通算1545奪三振)がいる。現在はMLBの球団に所属していない選手ばかりだが、かつてはビッグネームだった。
アメリカ代表にも、昔の名前で出ている選手が何人か眼につく。デイヴィッド・ロバートソン(通算137セーヴ)、スコット・カズミアー(オールスター3回)、トッド・フレイジャー(オールスター2回)と並べてきて、エドウィン・ジャクソンの名前にぶつかり、思わず軽い驚きを覚える。
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ジャクソンは、2003年から19年までの17年間に14球団を渡り歩いた投手だ。MLBにジャーニーマンは少なくないが、14球団という数は史上最多だ。
それまでは、オクタビオ・ドテル投手の13球団(1999~2013)が最多だったが、ジャクソンはこの記録を更新した。
ランディ・ジョンソンに投げ勝った初登板
最初の所属球団はドジャースだった。03年9月9日、ジャクソンは20歳の誕生日に記念すべき初登板(初先発)を果たしている。対戦相手ダイヤモンドバックスの先発は、40歳の誕生日を翌日に控えた怪物ランディ・ジョンソン。
ジャクソンは、あのビッグ・ユニットに投げ勝った。6回を投げて被安打4、失点1。前途を嘱望されたが、続く2年間の防御率が7点台と6点台だった。伸び悩んだジャクソンは、デヴィルレイズ(当時)にトレードされた。そこにも3年在籍したが、以後は転石の野球人生を送ることになる。
タンパベイを出たあとは、デトロイト、アリゾナ、シカゴ(ホワイトソックス)、セントルイス、ワシントンDC、シカゴ(カブス)、アトランタ、マイアミ、サンディエゴ、ボルティモア、ワシントンDC、オークランド、トロント、デトロイトと移籍がつづく。