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エドウィン・ジャクソンと東京五輪。アメリカ代表投手にして14球団を渡り歩いたジャーニーマンの数奇な運命 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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posted2021/07/31 11:01

エドウィン・ジャクソンと東京五輪。アメリカ代表投手にして14球団を渡り歩いたジャーニーマンの数奇な運命<Number Web> photograph by Getty Images

野球のアメリカ大陸予選で、アメリカ代表としてカナダ戦に登板したジャクソン。現在は所属チームがない状態だ

 17年間の通算成績は、107勝133敗、防御率4.78という微妙な数字だ。ただ、メジャーリーグで通算100勝を積み上げたのは凡器のなせる業ではない。レイズやカブスでは、現在エンジェルスの監督を務めているジョー・マドンに重用された。タイガース時代の09年にはオールスターに出場し、ダイヤモンドバックス時代の10年6月25日には、古巣レイズを相手にノーヒッターも達成している。

 このときはなんと149球を投げ、8四球を与えた末の快挙だった。ノーヒッター達成者のなかでは、史上最多の投球数だ。そもそも21世紀に入ってからは、ひとりの投手が1試合に150球前後も投げること自体が珍しい。ランディ・ジョンソンの149球(02年)やリバン・エルナンデスの150球(05年)が知られている程度だ。

 そんな経歴を見ても、ジャクソンはなかなか興味深い存在だ。MLBでは通算412試合に登板したうち318試合が先発だった。剛速球で打者をなぎ倒すタイプではなかったが、使い減りのしないワークホースで、37歳を超えたいまも90マイル台中盤の球を投げる。

 いってみれば、チームに必要不可欠という存在ではないが、いてくれるとありがたいタイプか。先発でも中継ぎでも抑えでもそこそこの成果を残し、ゲームを簡単には壊さない。性格に問題があるという噂は立ったことがないから、そちらの面でも心配はない。

黙々と走り抜いた野球人生

 軍に勤務する父親が世界各地を転々としたこともあって、ジャクソン自身はドイツのノイウルムで生まれている。当人のインタヴュー記事を読むと、幼いころから引っ越しや転校は頻繁で、新たな環境に適応する能力は自然に育まれていったらしい。

 たしかにこの背景は、ジャクソンの転石人生を説明するひとつの根拠になるかもしれない。だが、それだけだろうか。放浪の宿命などという抒情的常套句で、17年間のサバイバルを解釈することが可能だろうか。

 メジャーリーグは、不要とされたらそれまでの世界だ。どんな天才も、どんな大選手も、みずから引退を表明しないかぎりは、いつか解雇を言い渡され、球界を去っていくほかない。

 ジャクソンは、そんな世界で17年も生き延びた。20歳でドジャースの先発投手としてデビューしたのは明らかに早熟な才能だが、その才能は大きく花開くことがなかった。だがジャクソンは、道筋を変えつつ長い距離を黙々と走り抜き、現役生活の最晩年に、オリンピックのマウンドに立とうとしている。言挙げも釈明もしないだけに、その姿にはなんとなく好感が持てる。

 そんな彼を、MLBは呼び戻しにくるのか。それともこれが、長きにわたった流転の旅の果てになるのか。どちらに転んでも、ジャクソンはにっこり笑ってその結末を迎え入れるような気がする。

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