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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
堂安律が賭けた『どこだよ、そのクラブ』への“あえて遠回り”「行ってよかったねと言わせたのは自分なので」《東京五輪》
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byRyo Kubota
posted2021/07/17 06:00
東京五輪を控え、ここにきて調子を上げてきた堂安律。12日のホンジュラス戦でも2ゴールをマークした
オランダで2シーズン目を迎えた20歳の頃、堂安はしきりに「焦っている」と語っていた。欧州のサッカーシーンでは、ビッグクラブで活躍する10代の選手がゴロゴロいる。チャンピオンズリーグ優勝が夢だと公言する堂安が、焦燥感を覚えるのも無理はない。
だが今回、回り道を選択できたのは、必要以上に焦りを感じることがなくなり、長いスパンで自身のキャリアを捉えられるようになったからなのだろうか。
「おっしゃる通り、1年後、2年後、自分がどこにいるかじゃなくて、5年後、6年後に自分がどこにいるか。ビーレフェルトに移籍する決断をしたときに、まず考えたのがそれでした。ただ、焦る気持ちは変わってないです。PSVでプレーして、壁がすごく高く見えたんですよね。その壁を上れる自信がなかったわけじゃないけれど、その先がすごく暗かった。それなら遠回りですけど、希望の見える道を歩んでいかないと。サッカー選手として時間がなくて、また1年、何もできなかったら、本当に終わってしまう。焦っているからこその決断でした。焦っていなければ、PSVに2年、3年とどまっていたので」
もちろん、所属チームを変えただけで、すべてが好転するわけではない。本来の自分を取り戻すために堂安はまず、自分自身と向き合った。
「PSVではボールを失うことを恐れてバックパスが増えていたし、可もなく、不可もなくのプレーが多く、試合が終わってから、『俺、何してたっけ?』っていう試合が多かったのも事実で。そんな自分を変えたくて、ビーレフェルトでトレーニングを積みました。まずファーストタッチで必ず前を向くことを意識した。その結果、ボールを取られることが増えて、ベンチになっても仕方がないと。やってみないと変わらないと思ったから、まずトライしました。練習中から、目の前の相手に対して必ず仕掛けるとか、極端なくらい徹底して」
何も考えずに仕掛けることで、弱気になっていた意識を徹底的に変えたのである。
「あがいていたことが、少しずつ実を結んでいった感じです。もちろん、満足はしていないですけど、その姿勢を取り戻せたのが、ビーレフェルトで一番良かったことだと思います」
奥寺康彦以来、2人目の金字塔
本来の自分を取り戻したこのシーズン、堂安はひとつの金字塔を打ち立てている。
大柄な選手が多く、強度の高いブンデスリーガで34試合すべてに出場した。
ブンデスリーガではこれまで35人の日本人選手がプレーしているが、全試合出場を果たしたのは、奥寺康彦と堂安のふたりだけなのだ。
「身体を壊さずプレーできたのは評価していいと思います。膝を痛めて途中交代した試合もありましたし、いろいろなところに痛みを抱えながら出場したときもありましたけど、自分で自分の身体に鞭を入れながら、シーズンを戦い抜けた。1年を通して強度の高いパフォーマンスができたのは初めてなので、5大リーグでそれをやれたのも自信になっています」
もちろん、気合や根性で乗り切ったゲームもあったに違いないが、20歳の頃から取り組んできた試みが、堂安を全試合出場へと導いたのも確かだ。
「僕は怪我で出場できないのは選手自身の問題だと思っていて。だから、僕自身は全部やっているつもり。練習の1時間くらい前から入念に準備をするし、終わってからもアイスバスに入ったり、パーソナルトレーナーとトレーニングをしたり。この2、3年取り組んできたことのおかげで、戦える身体になってきたというか、大人の身体になってきたと思います」