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昔はデコにマルコス・セナ、今もペペにジョルジーニョ、チアゴ… EUROを彩る“ブラジル出身名手”の根性がカッコいい

posted2021/06/19 17:00

 
昔はデコにマルコス・セナ、今もペペにジョルジーニョ、チアゴ… EUROを彩る“ブラジル出身名手”の根性がカッコいい<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2016年のペペに2008年のデコ。彼らのようなブラジル出身選手もEUROを沸かせる

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Takuya Sugiyama

盛り上がりを見せているEURO2020。現在の状況と過去の懐かしい名選手などを写真とともに追った記事を2本ご紹介します!(クリスティアーノ・ロナウドとハンガリー編はこちら)

 ポルトガル代表の守備の重鎮で、2008年から4大会連続出場しており、前大会優勝メンバーのCBペペ(ポルト)、イタリア代表の2列目中央に君臨し、昨季、チェルシーの主軸として欧州CL優勝に貢献したボランチのジョルジーニョ(チェルシー)、スペイン代表の中盤で攻守に貢献し、2019年にバイエルン・ミュンヘンの主力として欧州CLを制覇しているMFチアゴ・アルカンタラ(リバプール)、ロシア代表の不動の右SBマリオ・フェルナンデス(CSKAモスクワ)、ウクライナ代表の技巧派MFマルロス(シャフタル・ドネツク)、そしてイタリア代表の控え左SBエメルソン(チェルシー)と控えCBラファエル・トロイ(アタランタ)……。

 今年のEURO(欧州選手権)に5カ国から出場しているこの7人は、いずれも"ブラジル人選手"である。

 アルカンタラ以外は全員、ブラジル生まれ。またアルカンタラの父親は、元ブラジル代表右SBで1994年ワールドカップ(W杯)優勝メンバーのマジーニョだ。

 皆、若くして欧州へ渡り、キャリアを積み、生活の基盤を築いた。愛着を覚えた地の国籍を取得し(ただし、欧州のほとんどの国では多重国籍が認められているので、ブラジル国籍はそのまま)、新たな国の代表でプレーすることを選んだ。その中には、ブラジル代表に入るのは非常にハードルが高いので他国代表を目指す、という現実的な判断をしたケースもあったはずだ。そんな彼らの歴史を振り返っていく。

90年代~2000年にはドナート、リンキらが

 史上初めて欧州選手権に出場した"ブラジル人選手"は、エネルギッシュなボランチ兼CBのドナートである。リオ出身で、バスコダガマなどでプレーした後、1988年に25歳でアトレティコ・マドリーへ。1990年、スペイン国籍を取得。1993年にラ・コルーニャへ移籍し、1994年、スペイン代表に初招集された。1996年の欧州選手権に出場したが、準々決勝で地元イングランドに延長、PK戦の末、敗れた。ラ・コルーニャでは、当時、ブラジル代表だったFWベベート、ボランチのマウロ・シウバらと共に黄金時代を築いた。

 2000年大会では、屈強なCFパウロ・リンキがドイツ代表のユニフォームをまとった。ドイツ人移住者の子孫で、ブラジル南部クリチーバ生まれ。アトレチコ・パラナエンセなどで活躍した後、1997年、24歳でレバークーゼンへ。翌年、ドイツ国籍を取得し、すぐにドイツ代表へ招集された。

“第二の祖国で大成功した象徴”と言えばデコ

 2004年大会に出場したMFデコは、全く無名でブラジルから欧州へ渡り、苦労しながらクラブでも"第二の祖国"の代表でも顕著な成功を収めたモデルケースだ。

【次ページ】 フィーゴが公然と代表入りに異を唱えたが

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