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昔はデコにマルコス・セナ、今もペペにジョルジーニョ、チアゴ… EUROを彩る“ブラジル出身名手”の根性がカッコいい 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2021/06/19 17:00

昔はデコにマルコス・セナ、今もペペにジョルジーニョ、チアゴ… EUROを彩る“ブラジル出身名手”の根性がカッコいい<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2016年のペペに2008年のデコ。彼らのようなブラジル出身選手もEUROを沸かせる

デコがこの試合で心に誓っていたこととは

「絶対に結果を出してやる、と心に決めてピッチに入った。ゴールが決まった瞬間、頭の中が真っ白になった」と語り、「試合が終わったら国中が大騒ぎで、その後、どこへ行っても握手を求められた。僕のキャリアにとって、とても貴重なゴールだった」と述懐していた。

 この日から、デコはポルトガル代表の一員として認められた。彼は、自らの力で、またしても逆境を跳ね返したのである。そして、2004年の欧州選手権に出場すると、準優勝に貢献した。

 この大会後、バルセロナへ移籍し、ロナウジーニョらと共に黄金時代を築く。スペインリーグを連覇し、2005~06年に欧州CLで優勝した。代表では、2006年W杯に出場してベスト4に食い込み、2008年の欧州選手権でベスト8。2010年のW杯にも出場した。

 ブラジルで全く無名だった男が、苦闘の末、まずポルトガルの、続いてスペインの名門クラブで実績を残して世界トップクラスの選手へと成長し、ポルトガル代表でも貴重な働きをした。見事、としか言いようがない。

クラニーの“3つの国籍”、いぶし銀マルコス・セナ

 CFケビン・クラニーは、リオ出身。父親がドイツ人、母親がパナマ人で、生国ブラジルと合わせ、生まれながらにして3つの国籍を手にした。ブラジルとパナマの小クラブの下部組織に所属した後、1997年、14歳でドイツへ渡り、シュツットガルトの下部組織に加わる。2001年、トップチームからデビューし、得点を量産して2003年にドイツ代表にも招集された。そして、2004年と2008年の欧州選手権に出場。2008年大会で準優勝している。

 2008年大会でスペイン優勝の立役者の1人となったのが、ボランチのマルコス・セナである。サンパウロで生まれ、若い頃は中小クラブに在籍。名門コリンチャンスへ移籍したが、出場機会が少なかった。2002年、26歳でビジャレアルへ移籍。驚異的な運動量で中盤の守備の要となった。FKの名手でもあった。

 2006年初めにスペイン国籍を取得し、すぐに代表入り。2006年W杯に出場した後、2008年欧州選手権に臨んだ。シャビ、ダビド・ビジャ、イニエスタらが織りなす華麗な攻撃を中盤の底でしっかり支え、大会ベスト11に選出された。

屈指のハードマーカー、ペペはポルトガルで大成した

 ペペは、ブラジル北東部マセイオの出身だ。12歳で地元の小クラブの下部組織に入ったが、18歳になってもプロ契約を結んでもらえなかった。2001年、ポルトガルの中堅クラブ、マリティモへ移籍し、翌年からレギュラー。2004年、名門ポルトへ移り、高さと強さに加えて状況判断力を磨き、大きく成長した。

【次ページ】 ドゥンガからセレソン入りを打診されたが……

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