熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
昔はデコにマルコス・セナ、今もペペにジョルジーニョ、チアゴ… EUROを彩る“ブラジル出身名手”の根性がカッコいい
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/06/19 17:00
2016年のペペに2008年のデコ。彼らのようなブラジル出身選手もEUROを沸かせる
サンパウロ郊外の出身で、中小クラブの下部組織を渡り歩いた後、1996年、18歳で名門コリンチャンスとプロ契約を結ぶ。しかし、ほとんど出場機会がなく、短期間、小クラブへ貸し出された後、1997年、19歳のときポルトガルの名門ベンフィカへ移籍した。
ところが、すぐにポルトガル2部のクラブなどへ貸し出され、結局、ベンフィカでは1秒たりとも公式戦のピッチに立てなかった。1999年、宿敵ポルトへ移籍。ここでようやく出場機会に恵まれると、高度なテクニックと優れた状況判断力を備え、守備面でも貢献するMFへと大変身を遂げる。名将ジョゼ・モウリーニョの薫陶を受け、2002~03年に欧州リーグを、翌2003~04年には欧州CLを制覇した。
こうして世界有数のMFとなったが、当時のブラジル代表にはロナウジーニョ、リバウドらスーパースターがおり、セレソンからは一度も声がかからなかった。そこで、2002年にポルトガル国籍を取得し、この国の代表入りを目指した。
フィーゴが公然と代表入りに異を唱えたが
しかし、外国出身の選手が代表でプレーすることに抵抗を示す国民が多く、当時の代表のエースだったMFルイス・フィーゴも「外国生まれの選手が加わるとチームの和が乱れる」などと語って彼の代表入りに公然と異を唱えた。
それでも、2003年初め、前年のW杯でブラジル代表を優勝に導いたルイス・フェリペ・スコラーリがポルトガル代表監督に就任すると、「デコは代表に絶対に必要な選手」と言明。この年3月、代表に初招集する。最初の試合の対戦相手が、奇しくもブラジルだった。
ポルトガルはブラジルの元宗主国で、両国は親密な関係にある。しかし、フットボールでは激烈なライバル意識がある。
デコは、後半途中から出場。終盤、1-1の状況でゴール前で倒され、FKのチャンスをつかむ。デコが自ら蹴り、ニアサイドへ捻じ込んだ。これが決勝点となり、ポルトガルは1966年のW杯(CFエウゼビオの2得点などで3-1と快勝)以来、実に37年ぶりにブラジルを倒した。
それから数年後、筆者は彼にインタビューする機会があり、この試合とこの得点について聞いた。