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親子で大の燕党、名前は古田から…ドラ1候補・廣畑敦也の“野球偏差値” がスゴい「もし今のヤクルトに自分がいたら…」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byKyodo News

posted2021/04/15 11:04

親子で大の燕党、名前は古田から…ドラ1候補・廣畑敦也の“野球偏差値” がスゴい「もし今のヤクルトに自分がいたら…」<Number Web> photograph by Kyodo News

昨年の都市対抗野球、JFE東日本戦に完投勝利し、ガッツポーズする三菱自動車倉敷の廣畑敦也

“お前は伊藤智仁みたいなピッチャーになれ”

 前述したように、廣畑の憧れの存在は現東京ヤクルトスワローズ一軍投手コーチ・伊藤智仁だ。続いて、拙著『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)の感想を尋ねる。

「物心ついた頃から、オヤジには“お前は伊藤智仁みたいなピッチャーになれ”と言われてきました。そこで、中学でピッチャーを始めたときに、YouTubeで伊藤さんのピッチングを見たらものすごい球を投げてました(笑)。とんでもないスライダーで、バッターがみんな腰を引いているのが印象的でしたね」

 岡山の玉野光南高校を経て、帝京大学に進学後も憧れの人のことは常に頭にあった。

「大学入学時に、4年間の計画を立てました。最終目標は伊藤さんの最高球速153キロを超える154キロのストレート、140キロのスライダーを投げることでした。結果的に大学に入学して故障をしたこともあって、社会人になってから達成しました」

自分なりの《異常の正常》を考えるように

 前述した『幸運な男』の中には、度重なる故障から厳しいリハビリを経て得た伊藤の「新たな哲学」が描かれている。かつて彼は「異常の正常」という言葉を口にした。以下、前掲書から、伊藤の言葉を抜粋したい。

「それまではケガをする前の状態、100の状態に戻すことを目指していました。でも、“もうそれは不可能なんだ”と悟ったのが96年でした。本当にヘルシーな状態を目指して何年も頑張ってきたのに、完全に戻ることはできなかった。だったら、もうそこを目指してもダメなんだと考えました。ならば、悪い状態の中で結果を出すべきだと思ったんです。つまり、《異常の正常》を目指すことにしたんです(中略)。異常状態の中で、少しでも正常を目指していく。そんな風に考え方を変えたんです」

「この本の中で、伊藤さんが“いつ壊れてもいい”と思って投げている姿が印象的でした。そして、《異常の正常》は、僕自身も常に意識するようになりました。それは、ケガや故障ということではなくて、毎回のピッチングや調子に当てはめています。先発マウンドに上がったときには完全試合を目指しています。でも、現実的にはそれも難しい。調子が悪いこともあります。そんなときには、“うちの打線を考えると、今日は何点までは取られてもいい”とか、自分なりの《異常の正常》を考えるようになりました」

【次ページ】 「僕が見に行くと、ヤクルトは負けないんです」

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