炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープ大瀬良大地、エースとして取り入れた“黒田博樹と同じ姿”とは 右肘手術も“2015年の涙”も進化の土台【今季30歳に】
posted2021/04/15 06:00
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
Kyodo News
プロ野球選手は1球、1打、1プレーで人生が変わることもある。
3月26日に開幕したプロ野球は、同一リーグ球団との戦いが一巡した。プロ2年目の広島森下暢仁は今季初登板から白星スタートとなった。3月30日阪神戦、スコアレスのまま代打が送られた6回裏に先制点を挙げ、それが決勝点になった。次の登板では完封勝利と、1勝がもたらす好影響を改めて感じさせた。
あの日、一塁ベンチで身を乗り出して喜ぶ森下の笑顔を見ながら、対照的な2年目のスタートとなった大瀬良大地の15年シーズンが思い出された。
1年目に新人王を獲得し、2年目は開幕2カード目の初戦"火曜日の男"を任された。ただ、1つの勝利を得るのに苦労した。
シーズン初登板は3回降板も、2度目の登板は9回途中まで1失点の好投。初勝利は5試合目。完投しながら援護なく敗戦投手となったり、援護があっても中継ぎ陣が逆転を許したりと、開幕から登板9試合でわずか1勝にとどまった。
中継ぎに配置転換、CSでは涙を流した
シーズン途中からはチーム事情もあり、中継ぎに配置転換された。手薄なリリーフ事情から、中崎翔太につなぐセットアッパーという枠にとどまらず、2イニングを任され中継ぎとしての登板は42試合を数えた。勝てばクライマックスシリーズ出場となるシーズン最終戦では敗戦投手となり、試合後は人目をはばからずベンチで涙を流した。
獅子奮迅の働きが代償となったように翌16年2月に右肘内側側副靱帯の部分損傷。今ではエースと呼ばれるまでにはい上がってきたものの、2年目のあのシーズンの始まりが違っていれば、また違う道のりだったのではないのか――。
そんな記者の仮定の話を当の本人は優しい笑顔で否定する。