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「昨日までのこともすぐ忘れる」難病発症の経緯さえも忘れちゃう水田光夏に修造が思わずツッコむ
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松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2021/03/07 06:01
![「昨日までのこともすぐ忘れる」難病発症の経緯さえも忘れちゃう水田光夏に修造が思わずツッコむ<Number Web> photograph by Yuki Suenaga](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/d/e/700/img_dec6fe517fb9e295296ee1738ef03960341526.jpg)
中2の春に突然発症した水田光夏選手だが、弱音を吐いたことは一度もないという
中学2年生(13歳)の春に発症したシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)は抹消神経の疾患で、手足の筋萎縮と筋力低下、感覚障害などが進む難病だ。症状が進み、中2の秋頃には運動ができなくなったという水田選手はそれ以降、車いす生活を余儀なくされた。
松岡:もともとスポーツはされていたんですか?
水田:スポーツではないんですけど、3歳からクラシックバレエをやっていて、小学校高学年のときにダンスに興味を持ちました。それで中学に入ってからはダンスに夢中になったんですけど、2年生の春に病気を発症して……。
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松岡:最初はどんな違和感がありましたか?
水田:踊っているときは違和感ってなかったんです。病院に行って診察してもらって、検査をして初めて自分の足の感覚が鈍いことに気づきました。
松岡:自覚症状がなかったのに、なぜ病院へ?
水田:あれ、頭が痛かったんだっけ?
母(光美さん):シャーペンを落とすことが多くなったのがきっかけです。あと、膝がガクガクするとか。
松岡:光夏さん、覚えてないんですか?
水田:すぐ忘れちゃうんですよ~(笑) そこから徐々に足や手が動かなくなっていったという感じでした。
「彼女の強さに助けられ成長させてもらった」(母)
松岡:徐々に症状が進むのはつらいと思うのですが……。
水田:そこまで深く考えていませんでした。病気のことより踊れなくなるほうがキツかったかな。自分ではまだ動ける、踊れると思っていても症状が進行して、周りから「危ないからもう辞めなさい」って言われて。確かに転んで怪我しても感覚が鈍っているから自分では気づかないし、怪我したら治りも遅くなるし。やっぱり危ないんだなって思いました。
松岡:僕にも娘がいますが、中学2年生の女の子ってものすごく多感で、いろんな意味で一番成長する時期で、ただでさえ自分を見つめてもがいてという年頃だと思うんです。そんな時期に病気を発症して、「なんでこうなったの?」と自分自身を責めたり嘆いたりしたこともあったんじゃないですか?